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2017/06/14(水)
【川畑のぶこ】電車の中での”心持ち”について
カテゴリー:メルマガバックナンバー, 川畑のぶこ
水曜日はメルマガ読者の方から
いただいた、 川畑のぶこへの相談を
あなたにシェアさせていただきます。
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Q:電車の中での”心持ち”について
優先席に座って、
携帯ゲームに興じたり、
おしゃべりしたり寝たりして、
周囲にその席を必要としている人が
いることに無関心な方々に、
苛立ちを感じます。
今、2歳の子がおりますが、
妊娠中に通勤していたときも、
平然と座っている人達を見て、
苛立っていました。
現在はベビーカーで電車を利用しますが、
ベビーカー優先マークの貼ってある
通路にも、ゲームやおしゃべりの人達が
陣取っていることに苛立ちます。
混んでいるときは、
通路の真ん中にいると、
乗降りする方の邪魔になるので、
隅にいたいけれど、隅には
もたれてゲームをしている方々が。
足を手術し杖を使っている母と
一緒に乗車したときは、
躊躇している場合ではなかったので、
「すみませんが、どなたか母に
席を代わって下さい」
と声をかけたら、快く代わって
くれる方がおりました。
そのように、ストレートに言うことが
良いのだろうと思いますが、
自分や、見知らぬ方のためには、
そういうことを言う勇気がありませんし、
毎回そんなことをするのは
疲れるように思います。
悠然と座っているこの方々は、
もしかしたら心臓疾患など、
一見そうは見えないけど
優先されるべき方々なのかもしれない、
と考えてみたりもしますが、
現実的でないその考えは、
自分を納得させるに至りません。
かくして、電車に乗るたびに、
苛立ち、そのイライラを気づけ!
とばかりに、ジッと見たり
にじり寄ったりしているしている私ですが、
大変建設的でないことに、
心を消耗しているなぁという
自覚があります。
どのような心持ちで、
電車に乗っておればよいのでしょうか。
【はな・40歳・主婦】
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A:
FROM 川畑のぶこ
はなさんの誠実さと正義感が
伝わって来るご相談内容です。
私たちは、「~べき」である
という思いが強いときに、
そして、その通りにならない時に
怒りを感じます。
おそらく、はなさんの中には
意識的であれ、無意識的であれ、
「相手がそれを伝えなくても、
誰が妊娠していて、
誰が体調が悪くて、
誰が怪我をしているか、
席に着いたからには、
常に自分の周囲に注意を払って
率先して気づき、
席を譲るべきである」
という思いがあり、
その思いの強さが怒りに
つながっているのではないかと
推測されます。
もちろん、そのように皆が
率先して動ける社会なら、
問題も起きず、理想的でしょうし、
いわゆる正論なのだと思います。
ところが、理想は必ずしも
現実に即しているとは限りません。
また、人がみな正論に従って
生きるというわけでもありません。
ここで、なぜ、
「席を譲りましょう」
という啓発をわざわざ
しなければいけないか、
という根本的な問題について
考えてみるのも良いと思います。
これは、人間は基本的に、皆、
「楽」をしたい存在であるということ。
特に、自分が疲れている時や
考え事をしている時などは、
人のことを構うゆとりがなく、
私と周囲とどちらがより
「楽」を”必要”とするか、
ということに対して注意がいかなくなり、
自己充電を優先することがあります。
私たちは、友達と楽しい時間を
過ごしたいという欲求がありますし、
もちろんその権利を持っています。
ところが、時として、楽しさのあまり、
周囲が見えなくなってしまうことが
あるのも事実です。
そうあるべきでない、
と頭でわかっていても、なかなか
常にそういうわけにはいかない。
残念ながら、
これは人間の性質でしょう。
この性質を否定するのではなく、
理解して、認めているからこそ
啓発の意義があるのではないでしょうか。
当然のことであれば、
啓発する必要もありません。
たとえば、病院の待合室には、
「患者さんに席を譲りましょう」
という啓発はありません。
これは、当然のことと皆が
受け止めているためでしょう。
ところが、電車やバスなど
公共の交通機関などは、
一見、階段を上ったり降りたり、
電車の乗り降りができるなど、
日常に支障のない人が多くおり、
病気であっても、
見るからに病気の人でない限り、
また、座っている本人が率先して
周囲に注意を払っていないと
気づきにくい場面も多くなります。
私は日頃、がん患者さんの
カウンセリングを行っていますが、
カウンセリングに訪れることが
できるような患者さんは
抗がん剤の副作用が辛くても、
見た目にはわからない程度の人が
多いです。
毛髪がなければ
周囲も気づくかもしれませんが、
最近は、ウィッグも技術が進み、
一見健康な人と判別のつかない
患者さんが多いです。
公共の交通機関では、
座りたくても座りにくく、
座っていても、周囲からは
元気そうに見えるので、他の人に
譲らないといけない気がすると
おっしゃる人たちもいます。
こればかりは、
本人が声を出さない限り、
周りにはわかりようのないことです。
ですので、全員が率先して気づくに
越したことはないけれど、前提を、
「放っておくと気づきにくいものなのだ」
と変えてみると、都度、
頭に来ることもなくなるかもしれません。
「理想通りに全員が行動したに
越したことはないけれど、
必ずしも全員が理想通りに
生きるわけではない。たとえ
理想通りでなくても、
その都度対応して、
場を機能させることはできる」
と、自分とは全く異なる背景を
持っているであろう、それぞれの
心理的・社会的・知性的・身体的な
限界を受け入れながら対応していくのは
しなやかな姿勢ではないかと思います。
そして、「言わなくてもわかるべき」
という姿勢を「言いさえすればわかる」
と切り替えることも大切かもしれません。
皆、楽をしたいですし、
面倒な作業はしたくないですが、
世の中や社会をよりよく変えたいと
思うときは、時には自ら率先して
行動を起こす必要があります。
はなさんも、思いやりを啓発する
一員として、困っている人がいるのに
気がつかない人がいる、
と気づいた時は、どうか率先して
周囲にそのことを伝え、
席を譲ることを促してみては
いかがでしょうか。
これは、座っている人が
率先して気づくことと、
同じ取り組みなのかもしれません。
そんなはなさんを見た周囲の人が、
「私も次はそうしよう」
と行動するかもしれません。
そんな思いやりの輪が、
はなさんの知らないところで
少しずつ広がっていくかもしれません。
そうなれば素敵なことですね。
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◎編集後記
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毎週楽しみに観てる
ドラマのエンディングで、
「最後は必ず正義が勝つ~♪」
というフレーズを聞くたび、
ちょっぴり違和感を感じてました。
ドラマは刑事ドラマだから、
「最後は必ず正義が勝つ」
でいいんだけど、
実生活では、必ずしも、
「正しいこと」が勝つ
(”勝つ”って言い方は微妙ですが,,)
わけじゃないんですよねぇ。。
「~べき」でバシバシ壁にぶつかって
そう思うようになりました。
–青野慶子
What’s danshari ? Let’s danshari ! Viva danshari ♪
この記事の執筆者について
川畑 のぶこ
心理療法家 ・ 断捨離アンバサダー
東京都出身。米国マサチューセッツ州エンディコットカレッジ卒(AA)後、経営コンサルティング会社、貿易会社勤務を経て、米国にて通訳・コーディネーターとして独立、通訳の仕事を通じて心理療法に出会う。
2002年に日本帰国後、都内を中心とした複数の医療機関において、がん患者や家族のメンタルケア、および心の悩みやストレスを抱える人々に対して日々カウンセリングを行う。そのほか患者会の指導、セラピスト養成研修の指導、医学部での講義、一般市民向けの講演・講義を全国各地にて行う。
「断捨離」を自ら実践し、メンタル面へ及ぼす影響を認識したことから、「断捨離」メソッドの普及にも取り組む。
断捨離関連著書:「断捨離のすすめ」(同文舘出版)、「断捨離~私らしい生き方のすすめ」(同文舘出版)、「断捨離アンになろう」(ディスカバー21)等
所属学会:日本心身医学会・日本サイコオンコロジー学会・日本予防医学会 等
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