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2017/01/02(月)

【やましたひでこ】「捨てる」ということ

カテゴリー:やましたひでこ, メルマガバックナンバー

 

FROM やましたひでこ

おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。

1月2日、月曜日

あらためて「捨てる」ということ。

今日、1月2日月曜のメルマガは、
「仏教情報センター」の季刊誌
「仏教ライフ」新春号に寄稿した
私の記事。

この仏教センターは伝統仏教僧侶
による、主に電話相談を主として
30年以上活動していている社団法人です。

http://bukkyo-joho.com
テーマは、“「捨てる」ということ”

私やましたひでこが、「捨てる」を
どのように捉えているのか、
断捨離メルマガ読者であるあなたにも、
あらためてお伝えしたいと思い、
シェアさせていただきますね。

◇◇◇◇◇

あなたは、「断捨離」という言葉を
ご存知だろうか。

もしかして、あなたは、すでに
この言葉をご存知かもしれない。
もしかして、あなたは、
すでに実践しているかもしれない。

だとしたら、
「断捨離」の提唱者として、
それは、このうえもない喜び。

私やましたひでこは、
自分でも訝るほどに、いつのまにか
「断捨離という実践哲学」を
拾いあげて、しかも、それを何故だか
一人で磨き上げることを重ね続け、
そのうえ、どういう訳か、
それを人々に伝え説くという
役目を担ってしまっているのです。

そんな甚だ心許ない私が提唱する
「断捨離」に、多くの仲間が
加わって下さることこそ、
私にとっては有難いばかりの
大きな力となる。そう、私自身が、
「断捨離」の秘めた恩恵にさらに
確信と信頼を深めることになるのです。

ところが、この「断捨離」、
私の想いに反して、残念な誤解の中を
漂うこともあるのです。
たとえば、こんなふうに。

断捨離って、ただモノを捨てまくることですよね。
断捨離って、なんだか、つめたく非情な感じがしますよね。
断捨離って、なんだか、宗教っぽくて重たい感じもしますね。

もちろん、これら誤解の
持ち主たちのほとんどは、
「ダンシャリ」という強い音の響きと
「断」「捨」「離」という三つの漢字
の持つイメージで、そう感じて、
そう言うだけのこと。

実際に断捨離を学んだのでもなく
実践してはいない。

それでも、「断捨離」=「捨てる」
という言葉の一人歩きとともに、
多くの人たちが、「捨てる」ことに
対して抵抗感を持ってしまうのは
無理もないこと。

事実、私自身も、当初は、
このモノを「捨てる」行為が
どれ程大変であったことか、
いいえ、白状すれば、
「断捨離」なるものを意識しだして
四十年近くになる今も、
おいそれとはいかない時がある。

そう、モノを捨てることは簡単ではない。
けれど、同時に、捨てることによって
もたらされる人生への恩恵を、私は、
どれだけ味わってきたか知れない。

モノを捨てることは難しい。
なぜなら、それは自分の執着心との
せめぎあいだから。

モノを捨てることは素晴らしい。
なぜなら、それは、自分の執着心が
解き放れていくことだから。

私たちは、モノを取り込むことを好む。
モノを手に入れ、そのモノを使い
役立て愉しむ。けれど、やがて
時間の経過とともに、それらモノたち
は使うことも、役に立つこともなくなり、
飽きられていくという、言ってみれば
自然な移ろいの運命を辿る。

なぜなら、私たちにとって必要な
モノたちは、ライフステージによって
次々に変わっていくのは当たり前の
ことなのだから。

けれど、取り込むことには熱心で
あっても、私たちは、それらを
始末していくことは苦手で怠る。
たいていは、保管と称して押入れや
納戸、物置に押し込んでいく。

そして、それら保管されたモノたちは、
全く手入れをされることもなく放置され、
その放置はやがて忘却へと、
あることさえも忘れられたまま、
ただ溜め込まれていくのです。

もう使わないのであれば、
もう必要がないのであれば、
もう好みではなくなったのであれば、
手放していく必要があるはず。

それは、幸いにも必要とされる
ところへ旅立たせることでもあるし、
残念ながら廃棄というかたちを
とることもある。

それが、「捨てる」ということ。

つまり、捨てるとは、あなたが
抱えこんだままにしたモノたちを、
必要とされるところへ手放していく
ことであり、与え施しでもあり、
モノを生き返らせることであるのです。

また、捨てるとは、あなたが
忘れたままのモノたちを、
自分の手で始末をつける、
つまり、供養し成仏させてあげる
ことでもあるのです。

ところが、いざ、与えよう、
始末をつけようという場面になると、
私たちは迷い戸惑うもの。
かつて、役に立ったモノたち、
好きだったモノたち、
それらは、やはり、
惜しいモノであり、
私たちは思い出深いモノたちを
捨てることに、申し訳なさと
後ろめたさを覚えるのです。

惜しむ気持ちと後ろめたさ。
それこそがモノへの執着であり固着。

「使えるモノ」を、使うこともなく
放置していることを、「もったいない」
という言葉を頼みに言い訳する私たち。

「使わないモノ」を、忘れたまま
溜め込んで、「もったいない」
という言葉で覆い、捨てる後ろめたさ
と向き合わない私たち。

そうやって、私たちは、自分の
執着心の証拠品を自分の居場所に
積みあげて溜め込んでいくのです。

けれど、あなたが、ほんの少し
勇気を出してそれらを手放して
いくほどに、あなたの心は軽やかに
なっていくはず。

あなたが、少しだけ覚悟をもって
それらに始末をつけていくほどに、
あなたの心は逞しくなっていくはず。

それは、実践した人にしか
分からないことではあるけれど、
それは、実践した者だけが
味わえることだけれど、多くの、
本当に多くの断捨離仲間たちが
体験していることであるのです。

モノを手放し自身を解放していくこと、
それが断捨離の醍醐味!

<季刊誌「仏教ライフ」新春号>

PS
取り込むのは大好きなのに、
失敗が多い。
取り込んだものの、
始末をつけるのが
他のモノより難しい。

そんな洋服の悩み、
一気に解決しましょう!

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◎編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━

慣れてくるとどうしても、
「捨てなきゃ」
という思いだけで捨てていたり、
「また使うかもしれないし」
と押入れに戻してしまうこともあります。

「捨てる」の意味の再確認、必要ですね。

–青野慶子

What’s danshari ?  Let’s danshari !  Viva danshari ♪

 

 

 

 

 

この記事の執筆者について

 

やましたひでこ

クラター・コンサルタント
東京都出身。石川県在住。早稲田大学文学部卒

 

学生時代に出逢ったヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を日常の「片づけ」に落とし込み、誰もが実践可能な自己探訪メソッドを構築。

断捨離は、心の新陳代謝を促す、発想の転換法でもある。

全国展開している「断捨離セミナー」は、年齢、性別、職業を問わず受講者から圧倒的な支持を得ている。

処女作『断捨離』<マガジンハウス>は、日本はもとより台湾、中国でもベストセラーとなり、『俯瞰力』『自在力』<いずれもマガジンハウス>の断捨離三部作他、著作・監修を含めた関連書籍は累計300万部を越えるミリオンセラー。

 

 

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