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2014/07/07(月)

【やましたひでこ】批判の先にみえるもの

カテゴリー:やましたひでこ, メルマガバックナンバー

 

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やましたひでこ公式メールマガジン「断捨離」
2014・7・7 No.1012

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◆今日の断捨離 「批判の先にみえるもの」

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ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。

 

文月七月七日、月曜日。

 

二十四節気「小暑」。

 

梅雨空ともそれそろお別れが
近づいて暑さも本格化。

 

そうそう、七夕でもありますね。

 

牽牛星と織女星の年に一度の逢瀬。
アルタイルとベガの年に一度のデート。

 

ああ、逢瀬であれ、デートであれ、
そんなロマンチックな気分とは
無縁の仕事モードの私だけど、
せめて、今夜ぐらいは星空を
眺めてみようかしらね。

 

どうか晴れますようにと願いながら。

 

さて、相変わらず原稿に励み、
本づくりに勤しむ日々に戻っている。

 

ありったけの心をかけて、
想うばかりに心を込めて、
本を書いている。

 

それが著者である私の有り様であり、
それは編集者さんも同じこと。

 

そうやって、本が出来上がっていく。

 

けれど、残念なことに、
出来上がった本には有り難い称賛と
同時に、辛辣な批判をいただくことは
少なからずあるもの。

 

その批判に対して、
「一生懸命に作ったのに!」
と反論しても意味はなく、
まったく無駄なこと。

 

なぜなら、プロセスは、
どこまでも作り手側のプロセスで
しかなく、結果に対して、
どんな意見を持つかは
誰にとっても与えられている自由だから。

 

それでも、
批判に対して理不尽を覚えたり、
やりきれない気持ちになるのも確かなこと。

 

ああ、人間だものね。

 

批判は、面と向かってされても、
陰でこそこそとされても厭なもの。

 

それなのに、この頃はネット上で、
容赦ない批判に晒されることが、
誰にでも起こりうるようになってきた。

 

そう、ネットは匿名性が高いので、尚更。

 

だとしたら、どうやって、
これら批判と付き合っていこうか。

 

たとえば、
こんなアドバイスをくれる人もいる。

 

気にしないこと。
無視すること。

 

けれど、
これほど役に立たないアドバイスも
ないだろう。

 

なぜなら、
気にしないようにすればするほど、
無視しようとすればするほど、
私たちは、それを意識することになる。

 

気にしないようにすることは、
気にしているからこそすることで、
無視しようとするのは、
意識しているからこそするのです。

 

では、どうしましょうか?

 

もちろん、
批判から離れることはとても大事。

 

批判する相手から距離を置く。
ネットならば、アクセスしなければいい。

 

かかわることを自分から断捨離すればいい。

 

それで、批判に晒され落ち込んだ自分を、
怯えきった自分を、
癒すことが可能となる。

 

けれど、
それだけでは、面白くないと、
この頃の私は思うのです。

 

そう、
怯えた自分が癒されたのならOK、
次のステップに進まない手はありません。

 

だって、批判コメントほど、
その人の潜在意識が伺いしれるものはないし、
同時に、自分の潜在意識も探求できるから。

 

それは、匿名性が高ければ高いほど、
間違いなく容易に読みとれるもの。

 

批判者は、匿名性に安堵しているので、
自分のコメントに自分を
露見させていることに気がつかない。

 

だから、よくよく意識して、
注意深く、批判の出所を探してみるのです。

 

大抵の場合、
それは怖れであったり不安であったり。
言いかえれば、
怖れや不安を裏返しにした妬みや嫉妬であったり。

 

そして、更に思う事はこれ。

 

批判者の潜在意識の中にある
不安や怖れを探り当てた自分の中にも
同じものが、しっかりと潜み棲みついている。

 

そうですね、自分に潜んでいるからこそ、
そのアンテナを持って、
批判者の潜在意識を探ることが出来るのです。

 

だとしたら、
批判する側も批判される側も、
実のところ、同じ潜在意識で
繋がっている仲間なのかも知れない。

 

ああ、これって、
とても認めたくはないし、
なかなか認められないことでは
あるけれど。

 

でも、思い切って認めてしまえば、
批判を怖れる自分からは
卒業していける。

 

そうだ、批判も、批判者も、
それに怯える自分も、
すべては愛しいばかりの切ない存在。

 

そんな受容が自分の中におきれば、
私たちは、次のステージの自己探訪へと旅立つ。

 

そして、新たなステージでの批判に
出逢うことになるのです。

 

ああ、批判とのお付き合いは、
どこまでも続く。

 

そうなんです、私たちは、
批判をステップにして、
進化と深化を繰り返す。

 

そう思うと、批判への怖れは、
裏返せば希望となるのです。

 

どうでしょう?

 

あっ、そうそう、
これだけは覚えておきましょうか。

 

批判にも、レベルがあることを。
批判には、どうでもいい
ゴミ・ガラクタの類があることを。

 

おっと、大丈夫でしたね、
ダンシャリアンであるあなたなら。

 

ゴミ・ガラクタを分別・分類する力は
もうすでに充分身につけているのですから。

 

有難うございます。
あなたとの出逢いに、いっぱいの愛を込めて。

 

やましたひでこ

 

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◎編集後記
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先日、
女子大の女性講師が批判について
語った記事を読みました。

 

簡単にいうと、
手軽に正義を振りかざして
他人を批判することは、簡単なこと。

 

しかし、
自身の品位や人間性を損なわずに
批判する事は、とても難しいことだと
いう内容でした。

 

自分自身が何かを批判するのも、
誰かから批判をされるのも、
大なり小なり避けてはとおれないもの。

 

自分軸をしっかりもち、
ものごとを適切に選別していかなければ
品のない行動をしてしまいますね。

 

断捨離は、モノを通して一歩一歩
適切な感覚を磨いていき、
品のある人生を歩むトレーニングでもありますね。

 

ー渡辺万里子

 

PS
断捨離を通して感覚が磨かれていくと
さまざまなモノに気づきやすくなります。

 

そのうちの一つが
カラダから発せられるサインに
気づきやすくなること。

 

カラダからのサインに敏感になると
ココロの状態に早く気けて、
・人に八つ当たりすることが減ったり
・人の意見を受け入れられる余裕ができたり
・大病になる前に対処することができます。

 

カラダのサインをキャッチし、
ココロを安定させたいなら
こちらをどうぞ

http://123direct.jp/tracking/cr/3dUUzIhx/172832/10199574

 

What’s danshari ?  Let’s danshari !  Viva danshari ♪

 

 

 

 

 

この記事の執筆者について

 

やましたひでこ

クラター・コンサルタント
東京都出身。石川県在住。早稲田大学文学部卒

 

学生時代に出逢ったヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を日常の「片づけ」に落とし込み、誰もが実践可能な自己探訪メソッドを構築。

断捨離は、心の新陳代謝を促す、発想の転換法でもある。

全国展開している「断捨離セミナー」は、年齢、性別、職業を問わず受講者から圧倒的な支持を得ている。

処女作『断捨離』<マガジンハウス>は、日本はもとより台湾、中国でもベストセラーとなり、『俯瞰力』『自在力』<いずれもマガジンハウス>の断捨離三部作他、著作・監修を含めた関連書籍は累計300万部を越えるミリオンセラー。

 

 

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