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2013/03/20(水)

【川畑のぶこ】死とは諦め?

カテゴリー:メルマガバックナンバー, 川畑のぶこ

 

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2013・3・20  No.537

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◆今日の断捨離 死とは諦め?

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FROM 川畑のぶこ

 

「執着を手放す…」

 

断捨離の目指すところであり、
私が断捨離に強い関心を抱いた所以。
これは、私個人の人生の課題であり
臨床での課題でもある。

 

執着を手放すというと
「諦める」と捉える人が多いけれど
それは少し違うと考えている。

 

諦めるというのは、望むことをやめるとか、
または、それらを得るための努力を
断つこととして使われる。

 

けれど、執着を手放すのに、
希望を捨てる必要はないと思う。
希望をもちつつ執着を手放すことは出来ると。

 

実は、仏教の「諦念」というのは
本来これに近い概念。諦念とは、
ものごとの真理や本質を見極め悟る
というような意味がある。

 

これは最初から望みを断ち、それを得るための
努力をしないということとは違い、
さまざまな努力をして経験を積んだ結果として
至る境地ではないだろうか。

 

なので、希望は持ちながら
そのための努力をしつつも、
起こる結果を信頼して
大いなるはたらきかけに委ね、
結果への執着を手放す、
ということではないだろうか。

 

先日、医療現場での講演会で、
終末期医療に携わる医療者から
このような質問があった。

 

「患者さんに希望を持ってもらうことは
大切だとは頭では分かっているけれど、
終末期においては死の受容も
大切になってくるのではないか。」と。

 

「希望を持つことと死の受容は
相反してそれらを同時に持つことは
矛盾するのではないか。」と。

 

なるほど、彼は死を「諦め」と捉えているので
このような質問が出たのだなと思った。

 

これは即物的な価値観で生きる私たちが
往々にして抱きがちな姿勢。

 

私はここで、以前その病院に入院していて、
私が1年ほどかけてカウンセリングを行ってきた
患者さんのケースを紹介した。

 

最初はがんという病気と死に恐怖していた彼女も、
後半は、人生でこんなに幸せなことはないと
笑顔が絶えなくなった。

 

QOLは病気になる以前より数段上がったと。

 

その病院に、師であるサイモントン博士と講演に行った際、
状態が悪くて講演会場に来られなかった彼女から、
病棟に立ち寄ってもらえないかと依頼があった。

 

講演後、サイモントン博士と私が彼女の病室に足を運ぶと、
もともと小柄だった彼女は、さらにふた周りほど
小さくなったように見えた。

 

それでも満面の笑みで、ちいさい声もはりがある。
そう、身体的には衰弱しているけれど、彼女は元気なのだ。
そんな彼女がひととおり近況報告を終えると、
しみじみとこんなことを言った。

 

「不思議です。私の(肉体的)生命の芽は
大きくならないのですが、希望の芽は
どんどん大きくなっているのです。」と。

 

それを受けて、サイモントン博士が間髪いれずに返答する。

 

「死後もその希望の芽をどんどん大きくしてくださいね。」と。

 

彼女はこれに歓喜して、涙を流した。

 

「そう、そうなんです。それが言いたかったのです。
ああ、よかった。死ぬ前にこのことをわかりあえる人が
いてくれて。」と続けた。

 

医療スタッフや家族には、否定されるので死について
素直な気持ちでわかちあうことが出来なかったと。
寂しかったけれど、自分も以前はそうだったので、
彼らを理解できるし死の受容を強要する気もなかったと。

 

そう、彼女にとって死は諦めではない。

 

彼女は悟っている。見えるものが全てではないのだと。
いま、理屈ではなく、全身全霊でそれを感じるのだと。
死期が迫るにつれ、ものごとの道理や真理を悟る人々を
私は多く見てきた。

 

決して希望を失ってはいない。
彼女もそんな一人だった。

 

彼らは健全に「諦念」を育んだのだと思う。
そして、身体的な生命への執着は手放しつつも、
死という人生の卒業式を希望をもって迎え、
次なるフェーズへステップアップしていったのだ。

 

勇者であり人生の大先輩として。
What’s danshari ?  Let’s danshari !  Viva danshari ♪
________________________________________

 

 

 

 

 

この記事の執筆者について

 

川畑 のぶこ

心理療法家 ・ 断捨離アンバサダー

 

東京都出身。米国マサチューセッツ州エンディコットカレッジ卒(AA)後、経営コンサルティング会社、貿易会社勤務を経て、米国にて通訳・コーディネーターとして独立、通訳の仕事を通じて心理療法に出会う。

 

2002年に日本帰国後、都内を中心とした複数の医療機関において、がん患者や家族のメンタルケア、および心の悩みやストレスを抱える人々に対して日々カウンセリングを行う。そのほか患者会の指導、セラピスト養成研修の指導、医学部での講義、一般市民向けの講演・講義を全国各地にて行う。

 

「断捨離」を自ら実践し、メンタル面へ及ぼす影響を認識したことから、「断捨離」メソッドの普及にも取り組む。

 

断捨離関連著書:「断捨離のすすめ」(同文舘出版)、「断捨離~私らしい生き方のすすめ」(同文舘出版)、「断捨離アンになろう」(ディスカバー21)等

 

所属学会:日本心身医学会・日本サイコオンコロジー学会・日本予防医学会 等

 

 

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