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2012/07/04(水)
【川畑のぶこ】フローに生きよう
カテゴリー:メルマガバックナンバー
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2012・7・4 ツꀀNo.279
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ダンシャリアンの皆様、ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
水曜日の担当は、
断捨離のメンタル担当、川畑のぶこ女史です。
川畑女史と2人で、
スポーツドクターで、フロー理論で有名な
辻秀一氏にお会いしてきました。
このフロー理論、
フロー≒「こぎげん」であれば、
パフォーマンスが上がり。
ノンフロー≒不機嫌であれば、
囚われが生じて、パフォーマンスが下がるというもの。
主にスポーツ選手や経営者に受け入れられている
フロー理論には、断捨離と共通したところがあり、
やましたと川畑女史とも、
すっかりはまってしまっています。
今日は、そんな話題を。
はい、ダンシャリアン、断捨離仲間のあなたへ、
今日も、メールマガジンをお届けします。
あなたとわたしの「ごきげん度」UPに、
より貢献できることを願いつつ。
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◆今日の断捨離
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FROM 川畑のぶこ
昨日、知人からまぶしいくらいの
エメラルドグリーンの海の写真が届いた。
沖縄・奄美は梅雨明けだそうで、
今日は早く仕事を切り上げて海水浴にいくそうだ。
うーん、羨ましいやら、恨めしいやら!?
今から8月の沖縄行きが待ち遠しい。
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さて、昨日はスペシャルな日だった。
ひでこさんと辻秀一氏との取材に
ご一緒させていただいた。
辻氏はスポーツドクターで
アスリートのメンタルトレーニングのプロ。
彼の著書を読み共感するところ多々あり、
学ぶこと多々ありだったので、
お会いする前からワクワクドキドキだった。
彼のオフィスで挨拶を交わすと、
その圧倒的なオーラと言おうか
エネルギーと言おうかにしばし言葉を失う。
本物というのはコミュニケーションに
言葉が不要だなとよく思うけど、辻氏はそんな方だった。
取材内容の詳細は
後ほど配信の案内があるのでそちらに譲るとして、
取材の後での会話で印象に残ったことがある。
それは、人間が植物や他の動物と違うのは、
脳の発達によって複雑な「認知」機能を
身に着けたことだと辻氏がお話されていたこと。
認知(もののとらえかた)の歪みを健全な方向に導くことは、
私の日々のカウンセリング現場での主な課題なので、
これには大きく頷く。
とりわけ嬉しかったのと驚いたのは、
スポーツトレーナーというのは
ポジティブシンキングのトレーニングをする
プロと勝手に思い込んでいたのだけれど、
そうではなかったこと。
私の印象では、
彼の提唱しているのは
「ナチュラルシンキング」だなと思った。
たとえば、試合であと1分残っているとすると、
「あと1分しかない、ダメだ!」とか、
逆に「あと1分もあるぞ!がんばるぞ!」とかと
意味づけをするけれども、そうではなく、
あと1分ということは、あと1分であって、
それ以上でもそれ以下でもないというとらえ方。
そのことをそのまま自覚できたのであれば、
淡々と今この瞬間取り組むべきことに集中できる。
そこには焦りも諦めもなく、
過度の気合や気負いもない。
真の意味での、「無我夢中」という状態ではなかろうか。
そのような状態にあるときに
パフォーマンスが向上するのだそうだ。
これは私が臨床現場で行う
サイモントンの健全思考(ヘルシーシンキング)に
似ているなと思った。
病気で困難な状態にいるときに、
「困難だから不可能だ」と考え諦める人が多い。
ところが困難な状態と診断されたことは事実だけれども、
それは決して、不可能という意味ではない。
無論、だからといって
必ず思い通りに治るということでもない。
困難は困難であってそれ以上でもそれ以下でもない。
事実は困難な状況から治ることもあれば
治らないこともあるということ。
不可能ととらえることもできれば、
可能と捉えることもできるということ。
仏教の教えに、「全ては空性」という概念がある。
私たちの周りに起こっていることは、
本質的に意味なし空っぽということだ。
そこに人間は意味をつけたがる。
そして意味を付けないということは難しい。
「意味はない」と「とらえる」こともまた意味づけだ。
そうであれば、
自分はどんなとらえ方をして生きているのかを意識し、
どんな立場をとることが自分にとって健全なのかを
意識的に選択していくことが大切で、
それはQOL(人生の質)の向上に役立つだろう。
私たちひとりひとりに
自分が信じたいことを信じる権利がある。
認知とハサミは使いようだ。
What’s danshari ? ツꀀLet’s danshari ! ツꀀViva danshari ♪
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