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2025/11/05(水)

【川畑のぶこ】「何者か」になる必要はあるのでしょうか。

カテゴリー:.新着情報, メルマガバックナンバー, 川畑のぶこ

 

水曜日はメルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をシェアします。

———————–

【Q】「何者か」になる必要があるのか
わかりません。

夫がたびたび学生の甥っ子たちについて
「まだ何者にもなってないから
 兄貴もたいへんだ」
というようなことを言います。

それを聞く度に
「医者です」「◯◯会社の社員です」
「◯◯です」と言えるのがそんなに
必要なのか、私はモヤモヤします。

◯◯になって社会的に
自分の属性を説明できるほうが
何かと都合は良いですけれど。

私は長いこと
「◯◯省事務官」として生きてきましたが、
職業に関係ない「自分は◯◯だ」と
言えるような芯はありません。

生活のために漠然と働いてきて、
特に昇進への意欲や仕事に関する目標
などもありません。

他の同期と自分の扱いの違いや
能力の違いを認識するたびに、

職場から大した期待も役割も
与えられていない自分の立ち位置を
認識し、若い頃はあったやる気は
擦り減ってなくなりました。

既婚ですが子なしで、
プライベートの役割の変化もありません。

世間では、目標を持とう、
幾つになってもチャレンジしよう、
などと言います。

職場でも人事評価の指針の一つとして
目標を立てることが必須になっています。

無駄な規則や事務処理は増える一方で、
減らす方向にはならない組織には
何も期待してないので、
毎回目標を立てるのに苦労しています。

目標を持ちチャレンジをして
「何者か」になる必要があるのでしょうか。

思春期の頃から「自分は何者か」という
問いは自分の中にありますが、
拘束事項や無駄が多い今の仕事を辞めて

「自分のペースで、自分にとっては
 幸福を感じる日常の些細なことを
 大切にして日々を送るただの人」

になりたいと思っているのですが、
それでだけではダメなのでしょうか。

「特に何者かではない自分」では
ダメなのでしょうか。

【かえで・40代・女性・
     国家公務員・神奈川県】

【A】ご相談ありがとうございます。

かえでさんの葛藤がよく伝わってきます。

「何者かにならなければならない」
というプレッシャーについて、社会では、
職業や役職といった外側のラベルで
「自分とは何か」を語ることが多いかと
思います。

組織の中に長く身を置いてきた人に
とってはなおさら、評価・目標・責任
などのシステムの中で生きることは
日常的でしょう。

きっとご主人もそのような環境で、
あるいは、親や周囲の期待に応え
認められることで、ご自身の
アイデンティティを確立しようと必死に
ここまで来られたのかもしれませんね。

それを手放したとき、
自分にはいったい何が残るのだろう?
という問いがふと湧いてくることも、
自然なことではないでしょうか。

何者かにならなくてはいけないのか、
という問いに関しては、
「何者か」には2種類あると考えてみると
モヤモヤが整理されるかもしれません。

まずひとつめに、社会的な「何者か」、
すなわち、外側のアイデンティティが
あります。

たとえば、自分は公務員であるとか、
母親であるとか、
◯◯会社の社員であるとか、
医師や管理職であるなど、

他者から見て分かりやすく、
社会に説明できる自分です。

このようなアイデンティティは
便利な反面、それに縛られ、評価され、
比べられてしまいがちな世界です。

ふたつめに、存在としての「何者か」、
すなわち、内側のアイデンティティが
あります。

こちらはたとえば、
丁寧さを大切にする人、静けさを愛する人、
誠実な人、誰かの小さな支えになる人等々、

「私は◯◯省の人間です」ではなく、
「私はこういう心で世界に触れている
 人間です」という芯の部分。

声高に語る必要はなく、肩書がなくても
そこに宿る静かな核のようなものです。

かえでさんはおそらく
前者(社会的な何者か)ではなく、
後者のことを求めているのだと思います。

かえでさんは、「特に何者でもない私」
とおっしゃいますが、
本当に「何者でもない」のでしょうか?

いいえ、そうではありません。

むしろ、「ただ日常を丁寧に生きたい」
「自分のペースで、
 静かに幸せを味わいたい」
という願いそのものが、

すでに「生き方の選択」であり、
立派な「あり方」です。

社会は目標や成長やチャレンジを
重んじるかもしれませんが、
足りないものを付け加える生き方
だけが人生ではありません。

静かに、満ちるように
「今あるものを味わって生きる」
ことも、立派な人生の形です。

それは怠惰ではなく、
成熟の表れでもあります。

今のままではダメということはなく、
むしろ、そう在りたいと
気づけたこと自体が、
大きな一歩ではないでしょうか。

ただ1つだけ
大切にしていただきたいのは、

「逃げとしての何者でもなさ」ではなく、
「選んだ上での何者でもなさ」である
ことです。

かえでさんの文章には、
後者の真摯さが感じられます。

どう生きればよいのか?
ということに関しては、

少し心を軽くするためには、
「何者かになる」よりも、
「誰として在るか」を育てても良い。

「目標」ではなく
「大切にしたい感覚」を持つことでもいい。

「肩書」ではなく、
「心の姿勢」を生きても良い。

とご自身に許可を与えることです。

そのうえで、

私は丁寧に暮らす人でありたい。
私は小さな誠実を積む人でいたい。
私は誰とも競わず、
損なわれない静けさを大切にしたい。

と日々確認していくのも良いです。

このことで、
かえでさんの人生の「軸」が
ブレなくなってくることと思います。

「何者かになる必要がありますか?」
という問いの奥には、

「このままの私で、
 生きていていいですか?」という
切実な祈りのような声があるように
思います。

その問いへの答えは…

「はい。このままでも、
生きていていいです。」

です。

名乗れる肩書きがなくても、
何者でもないのではなく、

私として生きている人、という、
最も正直な何者かであることを
覚えておいてください。

ー川畑のぶこ

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この記事の執筆者について

 

川畑 のぶこ

心理療法家 ・ 断捨離アンバサダー

 

東京都出身。米国マサチューセッツ州エンディコットカレッジ卒(AA)後、経営コンサルティング会社、貿易会社勤務を経て、米国にて通訳・コーディネーターとして独立、通訳の仕事を通じて心理療法に出会う。

 

2002年に日本帰国後、都内を中心とした複数の医療機関において、がん患者や家族のメンタルケア、および心の悩みやストレスを抱える人々に対して日々カウンセリングを行う。そのほか患者会の指導、セラピスト養成研修の指導、医学部での講義、一般市民向けの講演・講義を全国各地にて行う。

 

「断捨離」を自ら実践し、メンタル面へ及ぼす影響を認識したことから、「断捨離」メソッドの普及にも取り組む。

 

断捨離関連著書:「断捨離のすすめ」(同文舘出版)、「断捨離~私らしい生き方のすすめ」(同文舘出版)、「断捨離アンになろう」(ディスカバー21)等

 

所属学会:日本心身医学会・日本サイコオンコロジー学会・日本予防医学会 等

 

 

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