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2022/08/29(月)
【やましたひでこ】「惜しむ」ということ
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おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。
8月29日、月曜日。
<旧暦葉月三日>
夏の終わり。
そう、まだ暑かろうと、
気持ちはすっかり夏の終わり。
袖なしのワンピースも、色は秋色のそれ。
冷たいビールも、ビアガーデンの喧騒はなく。
なんてね、感傷の世界に。
でも、この感傷、俗っぽくて
我ながら笑えますね。
感傷とは、花鳥風月の世界なのだろうから。
ところで、
以下は、3年前に綴ったブログ記事。
夏惜しむ(なつおしむ)
晩夏の季語
さて、この「惜しむ」を辞書で繰ると。
あるよきものが今に失われてしまうことを
知りながらいとおしむこと、とある。
この「惜しむ」という心情が成り立つには
次の条件がいる。
ひとつ、よきものであること。
ふたつ、やがて失われること。
みっつ、失われることを知っていること。
よっつ、知っていながら愛すること。
そう思うと、惜しむにあたらないモノを
惜しんでいる私たちに気づく。
ひとつ、たいしたモノでもないのに、
ふたつ、そこにずっとあるモノなのに、
みっつ、あることさえ忘れているにも
かかわらず、
よっつ、愛でているわけでもないのに、
そうやって、モノをずっと抱え込み
溜め込んでいる私たち。
もしも、そうだとしたら、それは、
モノを惜しんでいるのではなく、
ただ、いじましい心根でいるだけなんだと。
ああ、面目もございません。
https://ameblo.jp/danshariblog/entry-12507678603.html
そう、私、不思議に思うんですね。
モノで言えば、「惜しむ=もったいない」
何年も押入れに突っ込んだままの忘却グッズ。
とりあえずクローゼットに押し込んだ
放置グッズ。
それらを、
断捨離を機会に引っ張り出した途端、
「もったいない」に容易に絡め取られて
しまうことが。
そして、
「捨てたいのに捨てられない」と悩み、
「やっぱり、捨てられない」と言いつつ
放置し続けることになる。
だとすると、モノそのものに、
人を縛る力があるのかも知れない。
だとすると、モノそのものが、
人より優位な地位にあるのかも知れない。
ならば、用心してかからないと。
モノに乗っ取られた
居住空間で過ごしたくないから。
モノの奴隷となった
人生を送りたくはないから。
なにより、モノに縛られた
私ではありたくないから。
<追伸>
断捨離のやましたひでこ、
「古巣」に戻ります。
沖道ヨガの本流「龍村修ヨガ合宿 in リヒト」
ボランティアスタッフとして、
全日程(9月27日集合~9月30日解散)
アシストさせていただきます。
ご案内は、こちらの
やましたひでこのブログでご確認を。
◆そうだ、自分のカラダと
もっと仲良くしていこうか。
https://ameblo.jp/danshariblog/entry-12760627461.html
有難うございます。
あなたにとって、
わたしにとって、
最善最良最高の舞台が
用意されますことを。
やましたひでこ
ブログ:https://ameblo.jp/danshariblog/
Instagram ID:danshari.hideko
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◎編集後記
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それほど愛着があったわけでもないのに
手元からなくなるとわかると途端に
執着心が出てくることってありますよね。
小さい頃、
母が私のモノを近所の子に
あげようとした時に、
ぐずったのを覚えています。
これは、惜しんでいたのではなく
なんとなく、失うことへの恐れがあり、
自分の元に置いておきたかっただけ
なんですよね。
あなたも、こんな風に
なんとなくでモノを留め置いていませんか?
ぜひ、考えてみてくださいね^^
間中亜衣
この記事の執筆者について
やましたひでこ
クラター・コンサルタント
東京都出身。石川県在住。早稲田大学文学部卒
学生時代に出逢ったヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を日常の「片づけ」に落とし込み、誰もが実践可能な自己探訪メソッドを構築。
断捨離は、心の新陳代謝を促す、発想の転換法でもある。
全国展開している「断捨離セミナー」は、年齢、性別、職業を問わず受講者から圧倒的な支持を得ている。
処女作『断捨離』<マガジンハウス>は、日本はもとより台湾、中国でもベストセラーとなり、『俯瞰力』『自在力』<いずれもマガジンハウス>の断捨離三部作他、著作・監修を含めた関連書籍は累計300万部を越えるミリオンセラー。
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