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2016/11/15(火)
【川畑のぶこ】[Q&A]心無い言葉で傷つける母が許せません。
カテゴリー:メルマガバックナンバー, 川畑のぶこ
水曜日はメルマガ読者の方から
いただいた、 川畑のぶこへの相談を
あなたにシェアさせていただきます。
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Q:心無い言葉で傷つける母が許せません。
母(私の家から徒歩数分の実家で
父と二人暮らし)に対して
報われない気持ちを抱えています。
四人兄弟の三番目で良い子で当たり前
という中で育ってきました。
母に対して自分の気持ちをわかって
欲しくて、大人になってから
気持ちをぶつけたこともありましたが
都度否定され叱られて終わっています。
日々年老いて行く母との残りの時間を
良い関係にしたいと、最近、無理を
しない程度に実家に両親の様子を見に
帰るようにして、お互いが穏やかに
やって行ければいいと考えて
その様にしていました。
父母は高齢で持病を抱えながらも
私達子供には極力頼らずなんとか
二人で生活しています。
実家では母がモノを溜め込みモノで
溢れている家の有り様に、
実際困ることも多く、父がすぐに
イライラして怒りだすと言うことが
何十年も前から続いています。
私や姉も片付けて欲しいと何度か
言いましたが聞き入れてもらえる
ことはなく逆に怒られてしまいます。
子供達が実家を出て家が広くなると
ますますモノで溢れ改善される様子は
ありません。
少しでも長く実家で父母が気持ち良く
暮らせるように、家を片付けようと
家族で話し合い、母もその時は
同意するのですが、母のモノに対する
執着がすごくて片付けが進まない
と言うより出来ないという状態です。
母に満たされなさのようなものが
あってモノに執着しているのでは
とも思うのですが、
どうして良いのかわかりません。
仮にそういうものを抱えているとして、
父との関係もあるかも知れないし、
母の長い人生でそうなってしまう
ことがあったのかもしれません。
母とは気持ちとか本心とか心の話を
しても通じないと感じることが多く、
実際私の気持ち等を聴いて貰えたこと
はありません。
そんな私だからか母の気持ちを聴こう
としてもうまくいきません。
実際、母は長年に渡ってめまい、
高血圧、耳鳴り、浮遊感などに
悩まされており、私なりにその関係性
について話し、一度家をスッキリさせ
れば頭の中もスッキリするし、父も
その事で怒らなくなるし、楽になると
思うよと何度か話し、母もそうかなあ
と興味を示すのですが、執着が勝って
行動に移すことはありません。
自分にできることとして、
実家に帰った際は母の話し相手になって
話の腰を折ったり否定したりしないよう
気をつけています。
そんな中、何とか母と良い関係を
続けられるかもと思っていたのですが
母の言葉に傷つくことが続き、
「〇〇(私)が義母を引きとらなかった
から○○さん(私の夫)がこんな事に
なったんやわ(夫が職場のトラブルから
抑鬱状態になり休職した時)」
「〇〇(私)にだまされてるんやわ
(私の知人に依頼した実家の修繕工事の
値段に対して母が父に言った言葉)」
平気で私を傷つける発言をする母に
対して穏やかな気持ちを持てる
はずもなく、母は軽い気持ちで言った
のだと思うのですが、それに対して、
ここに来てそのくらいで傷ついて
しまうのかと自分の弱さを痛感
しつつも傷ついてしまう自分がいます。
悲しくて、情けない気持ち、そして
少し腹もたちます。
どうしたら気持ちが収まるのか、
どうしたら母と良い関係でいられるのか
などアドバイスよろしくお願いします。
【ベス・56歳・パート】
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A:
FROM 川畑のぶこ
ベスさんのメッセージには
お母様の健康やより良い日々に対する
憂慮と、お母様から得たい承認や
愛情という課題があると思います。
まず、お母様の健康や豊かな
人生のためのサポートに関しては、
年老いて気力や体力も衰えている
親と対峙する時は、その脆さを
理解して、優しさや思いやり
が大切になることは言うまでも
ありませんが、
同時にサポートする側が
執着を手放す姿勢も大切になって
くると思います。
ベスさんやご家族は、部屋が
片づかない限り、母の人生は
機能しない、と思われている
ことと思います。
もちろん、お母様が
すっきりした空間で健やかに
過ごせたに越したことは
ありませんが、何が何でも
という姿勢は、ベスさんとお母様の
関係性を膠着させてしまう
危険があります。
人間は命や健康より考え方に執着する
といわれています。
お母様には命や健康を犠牲にしてでも
モノを持っていたい無意識な理由が
あるかもしれませんし、いろいろな
言い訳があるかもしれません。
まず、そのことに対して、
怒りから批判的に接するのではなく、
不器用でいびつな、それでも
母ながらの現時点での最善の
対処法なのだなと、
深い理解をしてあげることが
大事になると思います。
深い理解とは、表面的に
波風を立てないようにする
ということとは全く異なります。
表面的に波風を立てないように
自分の心を抑圧していると、
やがて感情が爆発することでしょう。
「私はこんなに無理して自分を抑えて
ガンバっているのに!」と。
ですので、できるだけ
平穏を保つのではなく、
相手がそうならざるをえなかった
理由や動機を理解する努力を
してみてください。
もしかしたら、お母さんは(も)
「誰も私をわかってくれない」と
周囲からの意見に耳を傾けない
ことによって、無意識な抵抗を
示しているのかもしれません。
「たとえ部屋が片づかなくたって、
たとえモノが多くったって、
私のことを受け入れてよ!」
という叫びがあるのかもしれません。
自分が正しくあるために、
周囲の意見を取り入れてはいけないと
恐れているのかもしれません。
その恐れを理解できたなら、
お母様もベスさんも楽になれるのでは
ないでしょうか。
「お母さんも私と一緒なんだ。
認めてもらいたいんだ。
自分が正しいって、
価値がある人間だって
確かめたいんだ。
私と一緒で愛されたいんだ。
それが不器用でいびつなかたちで
表現されているのだ。」と。
お母様がベスさんに対してとる態度
ー母親が子どもを服従させようと
する態度は、恐れから来ています。
それは子どもが愛される価値が
ないからではなく、母親自身が
価値ある母親、正しい母親で
あることを認めさせようとする
心理から来ていることが多いのです。
すなわち、お母様は
自分が本当に正しいのか、
価値があるのか、愛に値するのか
を疑っているということです。
周囲が自分を受け入れること
によって、その疑いを晴らそうと
しているということです。
そして、そのことに無自覚です。
親子の関係において、
親は子どもほどに愛情を必要とせず、
愛が必要なのは常に子どもであって
親ではないと思われがちですが、
決してそんなことはありません。
お母様の方が、ベスさん以上に、
承認欲求や愛情欲求が強い可能性
だって、十分にあるのです。
それが、モノとの関係に現れて
いる可能性もあるのです。
「モノを捨てなさい」という
周囲の姿勢は、お母様にとって
「あなたの価値は不要だから
捨てなさい」
と聞こえている可能性があります。
モノはモノのようでいてモノではない
ということを深く理解してみて
ください。
私が、溜め込み性の母親に断捨離を
伝える時は決して「捨てろ」という
メッセージは伝えませんでした。
むしろ、捨てない母を全面的に肯定し、
受け入れていました。
「仕方ないよ。飢餓も体験して、
モノが乏しくて、苦しい時代を
生きてきたんだから。
さぞトラウマ的な出来事だったでしょう。
捨てるなんて心が引き裂かれるような
思いでしょう。そうなのに、
無理して捨てる必要なんてないよ。
別にモノが溢れていたって、
それなりに幸せに生きていける
でしょうから」
と、徹底的に母の現状を受け入れる
状態でした。
これは無理にそうしたのではなく、
本当にそうだったろうなと、
理解したからです。
自分が様々なものを手放してみて、
また、母の溜め込んできたモノを
眺めてみて、その苦しみを理解した
からです。
もちろん、その苦しみを体験
してまでも不要なものを手放すことの
価値は理解していましたから、
希望は持ち続けていました。
そのために、自分の体験をひたすら
シェアし、最後に、
「あくまでもこれは私個人の経験
であって、お母さんにはお母さんの
価値観があるだろうから、それを
大事にすることが良いと思うよ。
無理に捨てない方がいいよ」
と付け加えることを忘れませんでした。
この根底には、希望を持ちつつも
執着を手放す姿勢がありました。
人それぞれに人生のプロセスがあり、
母には母に必要なプロセスがある。
それは私のエゴを満たすかたちや
私のエゴを満たすタイミングで
行われるとは限らないけれども、
必要なかたちやタイミングで、
時として、私にとって不都合で
嫌いなやり方で行われることがあると、
信頼していました。
また、今世で成し遂げられなかった
課題は、来世に持ち越されるだろう
という、執着を手放すための死生観も
大切にしていました。
ですので、母が断捨離を進めて
楽に人生を過ごせたに越したことは
ないし、そのための努力はする
(説得ではありません)けれども、
たとえ、思い通りの結果が出なくても
私の人生も母の人生も、
それなりに機能する。
という姿勢でした。
最初は私が断捨離のシェアを
するたびに、興味を持ちつつも、
緊張感が走る母でしたが、
徐々に
「この子は本当に私が
捨てようが捨てまいが、私のことを
OKだと思っているな。(私の価値を
受け入れてくれているな)」と
理解したのでしょう。
このようなやりとりの中で、
閉ざしていた心を徐々に開くように
なってきました。そしてある日、
断捨離を始めたのです。
私自身、私の言うことを母が
聞くことによって、己の承認欲求や
愛情欲求を満たす道具に
使わないよう気をつけました。
そのために、私自身、母親が
私の思い通りになろうがなるまいが、
私は価値がある存在で愛に値する
ということを理解し、それに伴った
行動をするよう努力していました。
モノがあろうがあるまいが、
母が幸せを感じながら生きるために
どのように関わることができるか、
そのために、私が大切にするもの、
あるいは捨てるべきものは何か
ということを問い直し続けました。
捨てるのが難しいのは、モノではなく
考え方です。
ぜひ、ベスさんもこれらのことを参考に
していただければと思います。
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川畑のぶこへの質問・ご相談は、
こちらから。
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◎編集後記
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「考え方」を捨てるって、
ホント難しいですね。
このところずっと囚われている
ある「考え方」。
遡ってみると学生時代のバイト先でも
同じ事言ってたな、、と、
何年たっても変わらない自分に
ガクゼンとしました(◎_◎)
–青野慶子
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この記事の執筆者について
川畑 のぶこ
心理療法家 ・ 断捨離アンバサダー
東京都出身。米国マサチューセッツ州エンディコットカレッジ卒(AA)後、経営コンサルティング会社、貿易会社勤務を経て、米国にて通訳・コーディネーターとして独立、通訳の仕事を通じて心理療法に出会う。
2002年に日本帰国後、都内を中心とした複数の医療機関において、がん患者や家族のメンタルケア、および心の悩みやストレスを抱える人々に対して日々カウンセリングを行う。そのほか患者会の指導、セラピスト養成研修の指導、医学部での講義、一般市民向けの講演・講義を全国各地にて行う。
「断捨離」を自ら実践し、メンタル面へ及ぼす影響を認識したことから、「断捨離」メソッドの普及にも取り組む。
断捨離関連著書:「断捨離のすすめ」(同文舘出版)、「断捨離~私らしい生き方のすすめ」(同文舘出版)、「断捨離アンになろう」(ディスカバー21)等
所属学会:日本心身医学会・日本サイコオンコロジー学会・日本予防医学会 等
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