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2016/04/05(火)
【千場ひろこ】「良い人」と「都合のいい人」
カテゴリー:メルマガバックナンバー, 千場ひろこ
FROM 千場ひろこ
ごきげんさまです。
「暮らしの哲学」研究会の
千場ひろこです。
数日前、実家から
母が(家庭菜園が趣味)
育てている野菜と
庭で咲いている花が
送られてきました。
花は、椿数種、桃、
傘百合と言った面々に加えて、
雑草のような見た目だけど
どこか気品漂う繊細な花が。
走り書きには、
ヒメウズ(姫烏頭)とあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒメウズ
そして、
「昔、あんたが、“あたしこの花好き”
って言ってたから、
庭に生えてたので送ってみる」
と書かれてありました。
そんなことはまったく
覚えていませんでしたが、
確かに私好みの花で(笑)。
発言した本人にとっては、
「そんなこと言ったっけなあ」
というささやかなひと言でも、
言われたほうは不思議と
よく覚えているというケース。
たまにありますよね。
―――
私の場合、以前、義母が、
「“あの人は良い人”なんて
気軽に言うけれど、
実は正確に言うと
“いまの私にとって都合の良い人”
なのではないか」
ということを言っていて、
それが妙に印象に残っています。
それこそ、発言した本人は
覚えていないかもしれないはず、きっと。
それにしても
「私にとって都合の良い人」
というのは、
ちょっと辛辣な響きかもしれませんが。
要するに、この言葉の本質は、
断捨離で言うところの、
関係性を意味しているのだと。
素晴らしいフランス料理も、
空腹な人と満腹な人では
受け取り方がまるで違う、
というように。
あるいは、この言葉の本質は、
まったく真逆を同じ表現にすると
意図が伝わるかもしれません。
「“あの人は悪い人”なんて
気軽に言うけれど、
実は正確に言うと
“いまの私にとって都合の悪い人”
なのではないか」
―――
「良い人」「悪い人」に限らず
人の評価というのは、
あたかも誰にとっても、
いつでも普遍的なように
語られがちなのですね。
あるいは、私たち自身も
誰かの価値基準によって
「良い人」「悪い人」と分類、
ジャッジされていたりして…
言葉の表現をどうする、
というよりも、
どこか独善的で
主観的になりすぎる自分を諌める時、
「“あの人は良い人”なんて
気軽に言うけれど、
実は正確に言うと
“いまの私にとって都合の良い人”
なのではないか」
という言葉が
何度も思い出されるのです。
―――
返す返すも、
義母はまさか、
私がこの言葉を何度も
思い返してるなんて、
想像もしないでしょう。
かくして、善行というのは、
行った本人がまるで忘れて
意識していない時に、
案外機能しているケースが
多いのかもしれません。
【先週ダンシャッたモノ】
体内毒素いっぱい
(風邪をひいたら、すっきり)
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◎編集後記
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何気なく言った一言が、
誰かの記憶にずーっと残っていて
機能し続けることがある。
、、なんて考えるとちょっと怖い気も
してしまいますが、どうせ残るなら、
少しでも役に立つような、
役に立たなくてもプラスの何か
(話の小ネタになるくらい)
であったらいいなー、と思います。
–青野慶子
PS
、、そんな発言になるかどうかは、
言葉よりも、その発言をしている
自分自身の「あり方」に、
関わってくるのかもしれません。
こちらのセミナーで学ぶ、
カウンセラーとしての「あり方」は、
日常の人間関係にもとても役立ちますよ。
↓
http://123direct.jp/tracking/cr/ryJPz486/221485/18230388
What’s danshari ? Let’s danshari ! Viva danshari ♪
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千場ひろこ
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