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2016/03/15(火)
【千場ひろこ】子どもの理屈
カテゴリー:メルマガバックナンバー, 千場ひろこ
FROM 千場ひろこ
ごきげんさまです。
「暮らしの哲学」研究会の
千場ひろこです。
朝、仕事部屋に籠っていると、
起きた娘(3歳)が
ドッドッドッドと廊下を走って
部屋に入ってきました。
そして、おはよう、も言わずに
「ねえねえ、お母さん、
どのペロペロキャンディがいい?」
と、自分のパジャマの柄を
見せてきました。
(いろんなキャンディが
プリントされている柄なんです)
あまりに真剣な顔なので、
びっくりしつつ、
「こ、これかなー」
と選びましたが。
「そうかー」と娘。
娘にとっては、
朝の挨拶どころではない
大事なことだったようです。
またある時。
息子(4歳)を自転車に乗せていると、
いきなり質問されました。
「ねーねー。お母さん、
犬と猫はケンカをしたら
どっちが強い?」
と。
これまたもちろん、真剣です。
・ 猫よりも犬のほうが噛む力が強い場合が多い
・ でも猫は逃げ足は速い
・ そして猫は木や高いところに登れる
・
というようなことを教えました。
すると、あたかも
自分が元々知っていたかのように
私が言ったことを延々繰り返し
話していました。
もう、自分の知識にしたようです。
―――
このような子どもの発言は
子どもらしくてとても
微笑ましいのですが。
一方で、
「もう大人の私たちと
あまり変わらなくなってきたな」
とも思っています。
考えているテーマが、
パジャマの柄の好みや、
犬や猫の力関係という、
あまりにもささやかすぎる
日常の断片なので。
つい「かわいいね~」
で済ましそうになるけれど。
大人が、真剣に、
仕事で使う写真を、
どちらがいいか選んだり、
A社とB社の力関係を
いろんな角度で分析したり、
というのと、本質的なところは
あまり変わらないな、と。
その上に、
常識やいろんな観念が
絡み合ってきて、
大人の考えることは
大人っぽく見えるだけ
かもしれない。
もう、子どもも
こうなってくると、
ある部分は一人前だと
認めてやらざるを得ません。
それを踏まえた上で、
じゃあ、どうやって子どもと
接しようか、と考えさせられます。
―――
そうした子どもなりの理屈は
発言だけでなく行動にも表れます。
息子はいっつも、
外で草や葉っぱや実などを拾っては
家に持ち帰りたがります。
庭のないマンション住まいなので
「正直、困ったなー」
というところ。
しかも、持ち帰っても
大して大事にせず、
ほっぽらかしなので、
余計にイライラ。
最近特に困ったのが、
手にひと掴み握りしめて
持ち帰ってきた、芝生の葉っぱ。
気づけば絨毯に散乱しています。
辛抱して、責めないようにして、
「なぜそれを取ってきたのか」
と訊ねると、理由を教えてくれました。
「育てているお花の栄養に
なるかと思ったから」
一応、子どもなりに
理屈があったりするのですね。
断捨離で、
「人のモノは勝手に捨てない」
とは言いますが。
「子どものものも同様」だと、
とやました先生。
とはいえ、ゴミ同然に見えるモノや、
腐ったり虫が湧きそうなものは
どうしたらいいのか。
そこは大人にとって
知恵の絞りどころなんでしょうね。
…ということで、
家で子どもに試し始めた
あるルールが…。
それはまた次週に紹介したいと思います。
【先週ダンシャッたモノ】
お客様用スリッパ(新調しました)
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◎編集後記
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微笑ましいエピソードですね。
キャンディーの柄にしても、
犬猫の力関係にしても、
朝の挨拶そっちのけ
自転車乗ってて急にその話?
・・唐突であればあるほど
子どもは「究極の自分軸」
なんだなーと感じさせられます。
大人になって、
挨拶もしないでいきなり質問
会議中に突然別の話
・・なんてしたら、
「常識ない人」「おかしな人」で終わり。
そうならないために、
常識や観念やその他いろんな情報で
武装していくのが大人になる、
ってことなのかもしれないですね。
–青野慶子
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