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2012/08/01(水)
【川畑のぶこ】第3の案
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やましたひでこ公式メールマガジン「断捨離」
2012・8・1 No.307
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◆今日の断捨離 第3の案
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先日の講演会での質問に下記のようなものがあった。
「家に仏壇があって、そこには父と叔母の位牌と遺影があります。
父には手を合わせたいけれど、叔母とは生前人間関係が上手くいっておらず
むしろ嫌いな人物だったので、想像したくないです。
叔母も私のことを良く思っていませんでした。
ただ、仏壇に遺影があると、どうしても叔母を想像してしまうし、
過去の叔母との嫌な出来事を思い出してしまうので、
仏壇に手を合わせるのも嫌になってきてしまいます。
せめて叔母の遺影だけでも外したい、そうすれば安心して手を合わせられると思っているのですが、
そんなことをしては叔母に申し訳ない気がして出来ません。
あと、叔母に対してそんな感情を抱いている自分も大人気なくて嫌気がさします。
いったいどうしたらよいのでしょうか。」
嫌いな人物に関わるものを捨てたいけれど捨てられない。
なぜなら相手に申し訳ないから…
これは、自分は相手を嫌いだけれど相手にそれを知られてはいけないという心理。
これは、自分は相手を嫌いだけれど、相手からは嫌われたくない心理。
これは、自分は相手を嫌いだけれど、相手からはいい人と評価されたい心理。
これは、そもそも人を嫌いになってはいけないという心理。
これは、皆から好かれなければという心理。
これは、人生自分軸でなく、他人軸で生きなければという心理。
さて、いまのところ、他人軸で遺影はそのままなわけだけれど、
他人軸に徹したとして、叔母側に立った場合、
表面的に礼節を保たれているから、関係は円滑にいっているのだろうか?
そうであれば、「嫌いな人間にも好かれ評価される」という目標は達成できており、
我慢した甲斐があったというものだろう。
無論、そもそもその目標自体が健全であるかどうかは全く別な議論。
あの世から姪がこのような内面的なやりとりをしていることを知ったなら、
相手はどんな気持ちになるのだろう。
果たして叔母の霊は自分の遺影を見るたびに嫌な思い出を巡らし、
遺影を捨てるべきか残すべきか逡巡している姪を、礼儀を重んじる立派な人間と評価するのだろうか。
また、「申し訳ない気がする」のは、本当に相手に敬う気持ちからくるのだろうか?
それとも「申し訳ないという立場をとる」ことで、自分はそんなに悪い人間ではないですよと
己に免罪符を与えているのだろうか?
断捨離は取捨選択。
断捨離はごきげんな今を生きるための決断。
A)写真があれば嫌な気持ちになるけれど、体裁が保てるので申し訳ない気持ちにならなくて済む。
B)写真を外せばすっきりするけれど、体裁が保てず申し訳ない気持ちになる。
痛みを覚悟で自分に好ましいで選択をして人生を切り開くのか、
痛みを我慢し続け相手に好ましい(であろう)選択をして人生を閉ざすのか、
A案かB案か、どっちをとる?
C)写真を外したら相手も自分の不毛な逡巡から解放され、すっきり楽になる。
なんてC案はないのだろうか?
断捨離は自分軸。
どのみち痛みを伴う人生ならば、自分を自由にする建設的な選択をしたいもの。
その選択が相手を自由にすることもあるのだから。
PS.
C案を見つける。
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