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2013/05/23(木)
【やましたひでこ】重要なのに後回し
カテゴリー:やましたひでこ, メルマガバックナンバー
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やましたひでこ公式メールマガジン「断捨離」
2013・5・23 No.602
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◆今日の断捨離 重要なのに後回し
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FROM やましたひでこ
ダンシャリアンの皆さま、ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
生きていくこととは、暮らしていくこと。
そして、その暮らしていくことのほとんどが、
維持管理に費やされるもの。
カラダの維持管理のために「寝食」があり、
住まいの維持管理のために「そうじ」があるように。
そうですね、何かを生み出し作り出すことよりも、
実は、圧倒的に維持管理の比重は高く。
けれど、私たちの意識は、
生み出すことや作り出すことには重きを置くけれど、
維持管理には、あまり心をかけることはないようです。
家事仕事のほとんどは維持管理。
そして、私たちの意識は、
維持管理である家事仕事を高く評価することはなく。
家事仕事は、生み出すことと同等、
あるいはそれ以上に絶賛されてもいいのにね。
生み出したのであるならば、そのケアを。
作り出したのであるならば、その管理を。
・・・なんてね、
自分への戒めのごとく、今日は書き綴っている私です。
はい、ダンシャリアン、断捨離仲間のあなたへ、
今日は、やましたひでこからのメッセージ。
そう、暮らしを溢れる笑顔でいっぱいにするために。
そう、仕事を勇気ある挑戦で満たすために。
そう、人生をより果敢に生きていくために。
◇◇◇
片づけられない「わたし」
捨てられない「わたし」
そんな「わたし」の背後には、
溜め込むばかりの「わたし」が棲んでいるようですね。
溜め込み屋の「わたし」
その「わたし」は、どうもケアが苦手なようで。
その「わたし」は、どうも維持管理が好きではないようで。
その「わたし」は、どうも始末していく作業を、
ないがしろで後回しにするようで。
そうですね、実際、溜め込まれた多くのモノたちは、
埃まみれのまま放置されているのが常だから。
それは、もしかして、
自分が期待する程、褒めてはもらえない作業だから?
それは、もしかして、
周囲からあまり評価が得られない作業だから?
それは、もしかして、
経済効果、つまりお金の獲得に直接は繋がらないから?
どうなんだろう。
もし、そうだとしたら、
溜め込まれたモノたちも、
溜め込んいる「わたし」自身も可哀そう。
なぜなら、それは自分で自分を評価ぜず、
なぜなら、それは自分で自分を蔑んでいることだから。
やました、こう思うのですよ。
何かを生み出すこと、作りだしていくことと、
維持管理と始末は全部でひとつのセット。
何かを取り込むこと、手に入れることと、
維持管理と始末は丸ごとひとつの関係。
そしてね、その丸ごとひとつの関係が、
きちんと成立してこそ、より創造的でいられる。
断捨離とは、モノの入り口から出口までを、
きちんと俯瞰する視点をもって、
実践に取り組んでいくもの。
断捨離とは、創造。
そうですね、だって、断捨離を実践すればするほど、
「わたし」の気持ちは、より清々しく、
「わたし」の心は、ゆとりという豊かさに満たされていくのだから。
いかがでしょう。
有難うございます。
あなたとのご縁に、いっぱいの感謝と愛を込めて。
やましたひでこ
What’s danshari ? Let’s danshari ! Viva danshari ♪
この記事の執筆者について
やましたひでこ
クラター・コンサルタント
東京都出身。石川県在住。早稲田大学文学部卒
学生時代に出逢ったヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を日常の「片づけ」に落とし込み、誰もが実践可能な自己探訪メソッドを構築。
断捨離は、心の新陳代謝を促す、発想の転換法でもある。
全国展開している「断捨離セミナー」は、年齢、性別、職業を問わず受講者から圧倒的な支持を得ている。
処女作『断捨離』<マガジンハウス>は、日本はもとより台湾、中国でもベストセラーとなり、『俯瞰力』『自在力』<いずれもマガジンハウス>の断捨離三部作他、著作・監修を含めた関連書籍は累計300万部を越えるミリオンセラー。
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