断捨離® | やましたひでこ公式サイト

断捨離®の著者、やましたひでこの公式サイト

 

ホーム  /  【千場ひろこ】続・京都の銭湯にて

2016/03/08(火)

【千場ひろこ】続・京都の銭湯にて

カテゴリー:メルマガバックナンバー, 千場ひろこ

 

FROM 千場ひろこ

ごきげんさまです。
「暮らしの哲学」研究会の
千場ひろこです。

1月末のメルマガで、
千場が地元(京都)の銭湯で
出くわしたある出来事を紹介しました。
(未読の方は、こちらをどうぞ↓)
https://yamashitahideko.com/2016/01/26/no-1578/

要するに、初めて行った
ローカル色の強い銭湯で、
地元のおばちゃんに
マナーをたしなめられた、
という話しです。

そのたしなめられ方に、
あまりいい気分がしなかったため
素直に「ごめんなさい」とは
言いたくなかった、という件。

実はですね、
このメルマガには
かなりたくさんの方から
ご意見をいただきました。

ありがとうございます。

その数以上に驚かされたのは。

似たご意見がひとつとしてなく、
解釈や感想の内容が
まったく人それぞれだったことなんです!

いやー、これ、
ほんとありがたいなあ、
と思いましてね。

ちょっと前に書いたメルマガを
またこうして掘り出してきて
ここで紹介するのは、
あまり新鮮味がない気もして
抵抗もあったのですが。

この人それぞれ感を
ぜひとも分かち合いたいと思ったので
書かせていただきますね。

―――

代表的なところで
感想を分類させていただくと…

(文字数が限られるため、
ざっくりしたまとめ方ですが
どうか気を悪くなさらないで…)

1. おばちゃんなりの親切心として受け止め、
笑顔でありがとう、を言う。
すると案外相手に気に入られて、
いい感じ。

2. 千場の夫のように
その意地悪に間髪入れず
「バカヤロー」と返すというのは
案外おもしろいかも!
笑ってしまいました。

3. 京都はムラ社会。
おばちゃんのいじわる風な発言は、
実は、敵か見方か判断するための試金石。
こういう銭湯は、誰にでも開放しているようでいて、
実は、地元の人ための日常の場なのです。
部外者は人様の場に入るという意識で、むしろ、
「お邪魔します」という感覚を持つべき。
それが京都の長い歴史において培われてきた
 コミュニケーションのあり方なのです。

4. 自分にも同じような経験有り。
 こうしたことは、京都に限らず
 どこにでもあること。
 でも、京都独特というような前提で
 書かれている気がしたので
 フェアに書いてほしいと思った。

5.「え、違いましたか?
 私はこう思ったのですが。
 そういうことなのですね、
 ごめんなさい、ありがとうございます」
 という言い方が相手も自分も
 気を悪くしないと思いました。

6.そういう感じの悪いおばちゃんは
 どこにでもいますよね。
 わかります。
 「かわいそうな人だなあ」
 と思って、気にしないことです。

―――

千場がなぜ、この
人それぞれのご意見を
うかがえてありがたいと思ったか。

つくづく、「問題」に対する
「正解」はひとつではない、
と思い知らされたから。

会議とか打ち合わせとか
仲間内のおしゃべりとか。

人の意見を聞くには
いろんなシチュエーションがありますが。

黙っている人もいれば、
全体のムードに合わせる人もいれば、
かなりはっきり自己主張する人もいる。

思いの密度も、
発言する意欲も人それぞれだから、
個々の本当の考えを
そのままの状態で聞くことは
まれですよね。

だから、こうしたメルマガに対する
感想を通して、
普段わざわざ口にしない
個性的な意見をそのまま知ることで、

「いろんな人がいる!」

というシンプルな事実を
受け止めることができて
うれしかったのです。

それをあなたにも
お裾分けしたかったという気持ちです。

特に自分が考えさせられたのは、
「3.」の京都在住の方のご指摘。

これもまた、
メルマガの感想でなければ、
わざわざ新参者に懇切丁寧に
教えてくださることは
なかなかないでしょうね。

こうしたローカルのあり方は
否定も肯定もしようがありません。

でも、じゃあ、自分自身は
どういう在り方が好きなのか、
ということは
胸に照らし合わせて
考えることができる。

そういう発見がありました。

―――

11日から配信される
断捨離塾のテーマは
「情報の断捨離」。

情報の取捨選択には、

「どんな人がそれを言っているかということ。
そして、どちらが自分にとって機能するか」

という視点が大切、
というお話。

すべての情報、発言には
人それぞれに前提があります。
もちろん、情報を受け取る側にも
前提がある。

これまで歩んできた
経験、育った環境、
歴史のようなものですね。

当たり前のことなのに、
案外抜けがちなことです。

批判や肯定以前に、
その前提に思いを馳せてみる。

そうした視点が、
深い理解を促す。

もちろん、いじわるのように
思えたおばちゃんにもね。
(そして私自身にも)

そんな気がしてなりません。

【先週ダンシャッたモノ】
枯らしてしまった鉢植え
(観葉植物の元気は、自分の気持ちの
余裕と比例しますね、、、)

━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━

世の中に唯一の正解なんて存在しない。
でも、それがわかってしまうと、
生きるのが虚しくなる、、、

なんて話を聞いたことがあります。

最初は「そりゃ虚しいでしょ」
と思いました。

自分が「正しい!」と思ってることが
「そうとも限らないんだよ」って
言われるのって虚しいな、と。

でも、だんだんそのほうが楽なのでは?
とも思えてきました。

自分が「正しい!」と思い込んで
わかってもらえるまで主張するのも、
相手が「正しい!」と主張してくることに
応戦するのもとてもエネルギーがいるし、
お互い譲らなければ消耗するだけ。

そんなとき、どこかのタイミングで、
「どっちも”正解”ではないんだよねー」
と思えると、ちょっと冷静な自分になれて、

◯◯さんは△△と思ってる。
私は××と思ってる。
とはいえ、この場はどうしていきましょうか、、

と考えられたらとっても楽だし、
物事も解決に向かっていくんですよね。

そうそううまくはいかないけれど、
「正解は1つじゃない」という視点は、
いつも持っていたいなと思っています。

青野慶子

What’s danshari ?  Let’s danshari !  Viva danshari ♪

<メルマガ登録>
※PC:こちら からご登録ください。
※携帯:こちらから空メールをお送りください。

 

 

 

 

 

この記事の執筆者について

 

千場ひろこ

準備中

 

 

メールアドレス(必須):

 

下記の注意事項に同意の上、お申し込みください。

 

 

執筆者一覧

 

 

 

最近の投稿

 

サイト内検索

 

 

記事一覧

 

 

 

断捨離®塾について

外部サイト