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「母の着物が私の着物になった日」

– きみこさん

今年もまた断捨離祭りの時期が近付いてきた。それは断捨離大賞の応募
の締め切りが近付いたことを意味する。私はこの断捨離大賞に応募するこ
とで、この1年自分がどう変わったか、これからどうしたいのかを見つめ
る機会として活用している。まるでやました先生に「私、今年はこんなこ
と、がんばりました」「断捨離してすっきりしました」!」「こんなに気
持ちが変わりました。」と報告するような気持ちで。

 
さて、今回は私の着物にまつわる話をぜひ聞いていただきたい。
着物って、結構断捨離しづらい代物である。着るのに時間も手間もかかる
し、何より高い。なのに、めったに着る機会がないし、高級だしいろいろ
な人の思いが詰まっていることもあり捨てられない。いや、きっと着るの
に時間と手間がかかるから、面倒くさくて着なくなるのだと思う。でも、
昔の日本人は朝起きてから寝るまで着物を当たり前のように着て生活して
いたのだから、現代の日本人は着物文化、日本の衣服を断捨離してしまっ
たようなものだ。

 
私の祖母は体調を崩す前はほとんど毎日着物を着ていた。母も新婚旅行で
着物を着てにっこり笑っている写真もあるし、入学式や卒業式に着物を着
て出席していた写真が残っているくらい、着物好きだった。当然私も七五
三、お正月には着物を着せてもらってなんだかちょっと窮屈だけれど、特
別な日には着るんだな、と小さいながらに思ったのを記憶している。そん
な環境だったこともあり、私は大人になればワンピースを着るように着物
も着られるようになるのかな、祖母のような年になれば着物は当たり前に
着るんだろうな、孫なんかできたら着せてあげるのかな、とさえ思ってい
たこともある。

 
でも、当たり前だけれど、茶道や日本舞踊等とにかく着物を着る習い事な
どはやってなかったし、大人になっても着物を着る機会なんてめったにな
く、着るとなったら、祖母や母が元気なうちは着せてもらっていたが、結
局自分で着ることはできないから着付けもヘアアレンジも当然してもらわ
ないといけなくて、ワンピースを着るようにはいかなかった。そのうち祖
母は体調を崩して着物も着なくなり、祖母が亡くなった数年後母も60代後
半から透析生活となり、着物を着ることはほとんどなくなったので、タン
スの中でたくさんの高級着物が眠ることになってしまった。

 
そして、持ち主が天国へと旅立ち、遺された着物を片付けたのは、なんと
祖母が亡くなった平成元年から、ほとんど平成が終わる約30年近く経っ
た、実家の片付けをしたとき。その数、和ダンス3竿分と、さらに桐の箱
に入った帯、羽織や小物の山。とにかくたくさんありすぎると、「天国に
は持っていけないから忘れ物だね」なんて優しい気持ちにはなれず、怒り
に近い気持ちでやっつけ仕事になってしまった。高級であろうが、価値の
ある着物であろうが、あとから年老いた伯母から、「おばあちゃんの大島
はどうなった?」なんて言われても訳が分からず、結局ほとんどを寄付に
回したり、リサイクルショップに持って行った。着物は洋服と違って、祖
母の着物は祖母のサイズ、母の着物は母のサイズであつらえているから、
祖母とは背の高さが10センチ以上も違ったのでもう誰も着られないのだ。
ただ、その中でどうしても捨てられない母の着物があった。それは、私の
分は「せっかくだから買いなさい」と無理やり買わされた着物と色違いの
母の着物であった。3年前「ウチ、断捨離しました」の番組の中でも私が
先生にしっかり「買わされたんです」と発言して、2枚の着物がしっかり紹
介されていた。番組の中で、先生は「着物はまだ早い、ハードルが高いの
よ」とおっしゃって、「確かにな~、でも気になるんです」みたいなこと
を私が言ったことで、「だったら自分で着ればいいんじゃない?楽しめば
いいのよ」と言ってくださり、「それもそうだな」と思い直し、どちらの
着物もかなりのお金をかけて、お直ししたのだ。母の着物は私が着られる
ように、そして私の着物は私だけでなく娘でもいずれ着られるように丈を
長くした。色も汚れがわからないように染め直した。

 
でも、そこまでやったにもかかわらず、コロナ禍だったこともあり、着物
を着てまでお出かけする機会もなく、相変わらず一人で着られることもな
いのでやっぱり着物を着て出かけるハードルは高く、結局また3年ほどその
ままタンスの中で眠っていた。

 
それが、ようやくその着物たちが日の目を見るときがやってきた。長女の
ところの子供(私にとって2人目の孫)のお食い初めのパーティーに長女と
せっかくだから着物を着ようということになり、それに母との色違いの着
物が一番ふさわしいということになったのだ。

 
ただ決心はしたものの着物を着る、というのはまた大変なことだ!とにか
く二人とも着物を着ることがすご~く久しぶりだから、準備するもの、着
付けとヘアアレンジの手配など、大騒ぎ。さらにタンスに眠っていた着物
はしつけがまだついている状態で、それをきれいに取り、さらにきれいに
しまってあったから変な折りじわがあって、どうやってアイロンかける
の?と大変!それでも、娘とワイワイああでもない、こうでもないと言い
ながら、「おばあちゃん、可愛いのが好きだったよね」「素敵な着物、作っ
てくれていたんだね」「ママの着物、かっこいいよ!」「帯はやっぱりこ
れがピッタリだね」と話していると、なんだかそこに母がちょこんと座っ
て、ニッコリと笑いながら様子を見ているような気持ちになった。
まだ長女もこの世に生まれる前からこの着物はあって、結局この着物を着
て親子で特別な日の装いとして楽しめるのである。

 
3年前にやました先生と話したときはまだまだずっと買わされたという気持
ちがぬぐえなくて私の着物でさえなんだか母の着物のような感覚だった
が、30年以上経ってようやく自分で買ったもの、そして母の着物はようや
く私の着物となった。

 
そして、これからはいろいろな場面で娘と、孫と、そして友人と、着物も
洋服のようにおしゃれのアイテムとして活用していきたいと思えるように
なった。別に大騒ぎしたっていい、「え?還暦過ぎたのに一人で着られな
いの?」なんて思わない。髪はショートカットならアレンジ楽だな、と思
うこともあったけれど、私は少しロングでパーマも楽しみたいから、アッ
プは美容師さんに頼めばいい。着物のおしゃれさんは人の力を借りていい
のだ!母も、祖母もあんなに着こなしていたのに、私は何でできないの?
なんてコンプレックスは感じなくていいのだ!それよりも着物という素敵
なファッションを教えてくれたことに感謝しよう。

 
おばあちゃん、お母さん、おしゃれさんでありがとう。お母さんの素敵な
着物、私のお気に入りになりそうよ。これから、何かの時には着物、着る
ね。すてきな着物、ほんとうにありがとう。

 

 

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