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「実家の断捨離〜夫から学んだこと〜」

-匿名希望さん

実家のリビングにはモノが溢れている。机の上、父の椅子の足元、手を伸ばせば取れるところにモノが置いてある。何度か片付けて机の上のモノも無くし、足元に置いてある書類も無くした。

 
でも、次実家に帰ると元に戻っている。聞けば、その方が使い勝手がいいと父は言う。今年になり認知症の症状が進んできた父。自分でしまった場所を忘れたり、自分で捨てたことも忘れ家族が勝手に片付けた、捨てたと自分を正当化する。

 
以前の私はモノが多すぎるから、余計見つけにくくなってると考えモノを減らしてわかりやすくすればいいと思ってた。でも、それは認知症になったことのない私の勝手な思いで、そんな簡単なことで解決できることではないと最近思う。義父母が先に二人とも認知症になっている。2年前、夫は仕事を辞め介護の為に地元に帰った。帰った当時、義父が入院してた。

 
夫の実家もモノが多く自分達の引越し荷物を運びこめる広さもなくアパートを借り引越した。引越して直ぐに義父の退院に備え介護ベッドや手吊りを入れる準備で義父母の家の断捨離をした。

 
義母も退院してきた義父もその時は「綺麗にしてくれてありがとう」と言ったが、訪問看護やヘルパーさんが家に来るので、義母は前のように棚の前に目隠しの布をかけた。義父も元気になるにつれ机の上に新聞を積み重ねていくようになり、2年前に片付けたリビング机の上にはモノがあふれている。

 
この2年、夫にも葛藤があった。リバウンドしないように片付けていたが綺麗にしようとするのは住んでない人、住んでいる人はモノを溜め込む。

 
一緒に住めばリビングの机の上がモノでいっぱいになることもなかったかもしれない。モノが減っても不安な気持ちも減らしていけたかもしれない。でも、自分達は同居を選ばなかった。

 
義父母はモノがある方が安心で今の生活に困ってない。なら現状のままで良しとした夫。机の上に積み重ねた新聞は義父が気力を取り戻し元気になった証拠だった。退院時には新聞は全く目を通さずに新聞置き場に入れ、溜まれば捨てていたのだから。

 
今は歩いて行ける距離に住み、毎日朝晩連絡をとり、ほぼ毎日実家に顔をだし日々の生活のサポートをする夫。デイサービスに訪問看護、ヘルパーさん、宅配弁当と使えるものを最大限利用している。何かあれば義父母は夫に連絡するが夫は振り回されることなく自分の生活を保ち、義父母は今までと変わらず家での二人の生活を続けている。たまに義父母の留守の時に行き、積み重ねた新聞など少し減らしたりして部屋のモノは一定量に保っている。

 
私からすると夫は凄いと思う。義父母とは一定の距離感をもち、訳わからないことを言われたり、話しが通じなくても決して怒らず感情的にならないで対応している。介護前はどちらかと言えば義父母にはキツイ口調で話すことが多かったのに…。

 
義父母への接し方が変わった夫から私が実家のことを話すと言われるのは次の3点
「本人にとって何が幸せなのか?」
「誰が満足するためにやっているのか?」
「周囲の人は本人が生活に困らないようにサポートするだけ」

 
夫に言われたことを考えると、私がたまに実家に帰ってする片付けは、自分と同居の家族の満足にはなっても、父にしたら快適より不安が増すだけだったのでは…。片付けをする時に父と一緒にやっているか?大きな断捨離は決まって父の入院時にしていた、退院時の生活を考えてモノを移動したり処分したりと…。

 
父にしたら自分のモノを勝手に動かされ、たまったもんではなかっただろう。その時の嫌な思いも父の中にはあるのかもしれない。自分の意思で選別して片付けたのでなければ、同じ状況に戻るのも不思議なことではないのか…。

 
思えば、父は父なりに自分のモノの始末をつけてきたものもある。兄弟が亡くなり自分だけになった時、叔母の墓じまいをした。見なくなってた書類の処分など、少しづつだがやっている。

 
モノの片を付ける気持ちは持っている。ただ、私の思うのとは違ってただけ。私がそれらのことに気付いてなかった。

 
まだまだ終わりの見えない実家の断捨離。認知症がある父の意を汲みながらの断捨離はどうなるか今のところ想像できないが、来年は夫を見習い父と接していこうと思う。

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