断捨離® | やましたひでこ公式サイト

断捨離®の著者、やましたひでこの公式サイト

 

ホーム  /  断捨離体験談2020(グランプリ:うさこさん)

実家の断捨離と父との時間

– うさこ さん

昨年11月に母が緊急入院し、心臓の手術を受け、
そのまま施設に入りました。
 
緊急入院した時には、もうダメかと思いましたが、
手術によって回復。

 

しかし、認知症もあり
「要介護3」の判定を受けた母の面倒を
父が見ることはできません。

 

それで、施設に入ってもらうことにしたのですが、
母の荷物を私たち姉妹が確認したところ、
ものすごい量の服、下着がごちゃ混ぜになって、
タンスの引き出しや押し入れ、
クローゼットに入っているのを発見。
 
出てきたのは母が編んだ手編みのニット類。
肩パッドの入った服多数。
一生買わなくてもいいくらいの新品の下着。
 
洋服のほとんどを断捨離しました。

 

母は何でもビニール袋に入れておけば安心なのか、
いろんなものが朽ち果てたビニール袋に入っていました。
 
そのビニール袋から母のへそくり?も
しこたま出てきたのにはびっくりしました。

 

そして、長年続けてきた仕事を辞めたのが3月。

 

仕事を辞めたら家賃が払えないとわかって、
実家に引っ越したのが5月末。

 

私が実家に引っ越すにあたって、
3階の部屋を2部屋空けなければ住めないと思い、
引っ越す前に妹にも手伝ってもらって、
2部屋を大断捨離。
 
実家の3階の納戸2つと3部屋は
すべてモノがぎゅうぎゅうに詰め込まれ
たゴミ屋敷だったからです。

 

私が住む予定の2部屋は、
かつて妹家族が暮らしていたモノの残骸が
そっくりそのまま残っていました。
 
妹家族は、10年以上前に新居を建て、
実家を出たのですが、
要らないモノはそのまま残していったのでした。

 

大物は妹も手伝ってくれたとはいえ、
まだまだモノがたくさん残っています。
 
クローゼットには、
十年以上使っていない布団がぎっちり。
服もぎちぎち。
 
机の上には、
昨日まで妹がそこで勉強していたかのような有様。
 
大量のモノの処分が私の肩に乗っかってきました。

 

何日も実家に通い、
朝から晩まで3階の2部屋を片付けました。
 
出てきたのは、
私たち姉妹が高校生だった頃の体育祭のユニフォームとか、
高校生になった甥っ子が保育所に持っていっていた布団一式とか・・・。

 

要らないものをどんどんゴミ袋に詰め込みました。
ゴミ袋は何十袋も出ました。
粗大ごみもたくさん出ました。
 
それを3階から1階へ運ぶのもかなりの重労働でした。

 

ほとんどがゴミでした。
そこだけ時間がずっと止まっていたのです。
 
いや、実家全体が50年前から時間が止まっていたのです。

 

何日もかけてようやくこの2部屋を
全くの空っぽにした時の達成感、爽快感といったら!
 
やっと、ここに住める!

 

無事に引っ越しを終え、
そこから、80代の父との暮らしが始まりました。
 
私の部屋は空いたけれど、
ほかの部屋もモノがぎちぎちに突っ込まれた状態でした。

 

台所に立って料理をしようとしても、
ざる一つ出すのにも大変でした。
 
なので、台所の断捨離を始めました。

 

なんでこんなに鍋があるんだ?
というほどのたくさんの鍋類。
 
あちこちから出てくる食器類。
死ぬまで買う必要はないと思われるラップ類。
ボーリングのピンにできるほどある洗剤類。
大量の割り箸。粗品の布巾類・・・。
 
鍋も食器も大量に捨てました。

 

実家はモノが入ってきても絶対に出ていかない家でした。
 
もらったものは何でも取っておく。
とりあえず、空いているところに突っ込む。
 
モノが多すぎて何をどれだけ持っているかわからない。
だから、またモノを買う・・・。

 

母の習性を見せつけられる思いでした。

 

極めつけは冷凍庫。
 
ここに入っていたモノは、
すべて賞味期限が2017年あたりのものばかりでした。
 
もちろん、全捨てです。

カチカチに凍った食べ物をゴミ袋に捨てながら、
この頃から母の認知症は始まっていたのかと思うと、
それに気づけなかった自分が
情けないやら申し訳ないやら・・・。
 
泣きながら捨てました。

 

次に、取り組んだのは3階の納戸です。
 
ここは、一歩も足を踏み入れることができないほど、
上から下までモノが積み上げられていました。

 

手前のモノから一つ一つ手に取り、
中身を確認し、ほとんどのモノは捨てていきました。
 
ここにも頂き物の食器や鍋、
タオルが新品のまま突っ込まれていました。
 
新品でもなんでも使わないモノはいりません。
ゴミの分別をしながら、どんどん捨てていきました。

 

母の趣味であった編み物や俳画の作品もたくさん出てきました。
編み物はどれもやりかけで終わっていました。
俳画の作品はまだまだあるので、どんどん捨てました。

 

私たち姉妹の幼稚園の頃の作品や
生まれた日の新聞などもありました。
 
大事に取っておいてくれたんだという
感謝の気持ちでもって処分しました。

 

モノを捨てるとそれを収納していた
スチール製のラック2つが空きました。
 
それも捨てることにし、
父と一緒にラックを分解していきました。

 

父とは幼いころから折り合いが悪かった私でしたが、
父は3階は私に任せるといって、
毎日毎日たくさん出るゴミを何も言わずに出してくれました。

 

そして、3階の1つ目の納戸の断捨離がようやく終わったとき、
父がお礼にと言ってお小遣いをくれました。
 
その額はえーっ!と思うほど少なかったのですが、
ケチな父が喜んでくれたことが嬉しかったです。

 

そのあと、もう一つの納戸や1階のミニキッチン、
玄関など少しずつ断捨離していますが、
自分に関係ない部分については任せてくれるので、助かっています。

 

ただ、もったいない世代なので、例えば、
「ボールペン、こんなに要らないよね?」
と言ったとしても
「まだ使えるから。」
と言って捨てようとはしません。

 

だけど、最近私がなにげなく
「○○って、使ってないよね~。」
とか、
「○○っているかなあ。」
とか言っていると、
後日それを捨ててくれたり、
分解してゴミに出してくれたりということがありました。

 

最近捨ててくれた大物はリビングのテーブルです。

 

ガラスの天板が乗っていて重いので、
一人で動かすことが難しく、
しかもテレビ台の前にあったので、
テレビ台の引き出しが使えなかったのです。

 

そのテーブルは来客の時にも使っていなかったし、
ただ、読み終えた新聞を入れていただけでした。
 
それを分解してガラスを粉々に割り、
ゴミに出してリビングは広々。

 

夏の間敷いていたラグを仕舞って、
ホットカーペットを出そうとしていた父ですが、
「ホットカーペットなくても、エアコンでいけるんちゃう?」
と言うと
「そうかな。」
と言ってホットカーペットは出していません。

 

広くなったリビングを
モップ掛けしやすくなったといって、
しょっちゅうモップ掛けしている父。
 
空間の気持ちよさを感じてくれているのかもしれません。

 

実家に引っ越してきたときには、
食事の時も会話もなく
ただ黙って食べ物を口に運んでいた父と私ですが、
最近は冗談を言い合ったりして仲良く食べています。
 
実家には、まだまだ断捨離するところはありますし、
父がどこまで協力してくれるかはわかりませんが、
断捨離のお陰で、
苦手だった父との時間が宝物になりつつあると感じています。

 

 

断捨離®塾について

外部サイト