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父を綺麗な座敷からおくりたい

– 安達章子 さん

真夜中の電話に飛び起きました。
それは実家の母から、
父が亡くなったとの知らせでした。

 

お風呂に入っている時に
心不全で亡くなり、
84歳の腰の悪い母一人では
どうにもならなかったので、
お隣の方に手伝ってもらい、
父をお風呂からだし、その後、
ありがたいことに主治医の先生が
すぐにかけつけてくださったので、
病院に運ばれることもなく、
自宅でそのまま寝かせている
とのことでした。

 

車で実家に向かう間、
父の死の実感はまだわかず、
悲しむよりも私には一つの
大きな心配がありました。

 

「父をどこに寝かしているのだろう。
 寝かせる場所がないでしょう?」

 

お風呂場は実家の一階。
父と母は二階に寝ていましたので、
そこには寝るスペースがありますが、
一階には寝かせる場所が
どこにもないのを知っていたからです。

 

「父を寝かせる場所がどこにもない」

 

ことわっておきますが、
実家は古い家ではありますが、
2世帯住宅の造りで、
狭いわけではありません。

 

一階は広縁や床の間がある
10畳の座敷の他に
8畳、6畳、4畳半、
台所があります。

 

二階は8畳2部屋と
台所がある間取りで、
しかもそれぞれの部屋には
天袋付きの大きな押入れや
物入れがついています。

 

祖父祖母が亡くなり、
私と妹が結婚して家を出て、
父、母の二人暮らしになってからの
生活には広すぎる家です。

 

しかし全ての部屋は
足の踏み場もないくらい物で
あふれていました。

 

捨てられない、
片付けられない母は、
おそらくは何十年も、
古新聞と生ゴミ以外は
何も捨ててこなかったのではないか、
と思うくらい、様々なものが
雑多に積み重なっていました。

 

父を寝かせる場所がない、
というのは決して大袈裟なことではなく、
本当に心配をしなければならない
状況だったのです。

 

実家に着くと、父は床の間のある
10畳の座敷の片隅にかろうじて
寝かされていました。

 

「お父さん・・・」

 

悲しみの対面もそこそこに、

 

「よくお父さんを
 寝かせるスペースを作ったね」

 

と一足先に実家に着いていた
妹に言いました。

 

「いやー大変だったよ。
 着いたらお父さん、
 廊下に寝かされていたから、
 急いでここまで片付けて、
 布団敷いて移動させたの」

 

・・・どの部屋もモノで
うめつくされていると書きましたが、
その中でもこの、床の間のある
10畳の座敷は、以前は
立派な客間として使用していましたが、
いつの頃からか客間どころか、
以前祖父や母が習字教室をしていた頃の
座卓や紙類、頂き物が箱のまま、
空き箱に入れ分類された
(しかし活用はしていない)
紙袋、ビニール袋、洋服、小物、雑誌etc…

 

さらには家具と家具渡してかけられた
物干し竿に洋服がかけられ、
広縁まで到達するには、
ジャングルの中のように、
モノをや洋服をかき分けながら
すすまなければならない有様でした。

 

もちろん私たち姉妹は
実家に帰るたびに片付けを試みますが、

 

「何も捨ててくれるな」

 

という母とすぐに喧嘩になり、
最近は諦めて手つかずに
なっていてました・・・

 

「それは大変だったね。
 でもこれから弔問の方もみえるよね。
 その場所もつくらないといけないよね・・・」

 

私たち姉妹には
やらなければならないことが待っていました。

 

「どうにかしてこの座敷を片付けよう!」

 

悲しんでいる暇などありません。
仮眠をとってから、片付け開始です。

 

まずは玄関から座敷までの
廊下の動線を片付けてから
座敷にとりかかりました。

 

この時はまだ「捨てる」作業までは
本格的にはできず、とにかくは
スペースを空けることに徹しました。

 

そうしてなんとか
葬儀屋さんとの打ち合わせや
弔問の方をお迎えするスペースを
確保することができて、ほっとしました。

 

しかしそんな中でも
情けなくなることがありました。

 

父の枕に敷いてある
バスタオルが汚れたので、替えようと思い、
バスタオルを探したのですが、
どこにもないのです。

 

こんなにモノがあふれていて、
バスタオルは頂き物の新品や替えのものが
どこかに沢山あるはずなのです。

 

それが必要な時にすぐに見つからない。
母に聞いてもそのへんにあるはず、
というけれどもそこにもない。

 

心から情けなくなりました
(後日ごっそりでてきたのは
 言うまでもありません)。

 

葬儀は1週間後と決まり、
翌日には父の遺体を
その日まで保存するために
葬儀社に預かっていただくことに
なりました。

 

この時には座敷の広縁から
父をどうにか外に運び出すことが
できるまでは片付けられました。

 

けれど、このままでいいのか?

 

これから葬儀が終わり、
お骨になって帰ってきて、
納骨までの間、親戚や弔問の方を迎えるのに、
また最後に父をおくりだすのに、
こんな中途半端に片付いた
座敷からでいいのか。

 

「綺麗な座敷にして
 お父さんをおくりだそう!」

 

妹と気持ちは一致しました。
それからが断捨離の本番になりました。

 

「勝手に捨てないで」

 

という母を

 

「今のままでは一週間後の葬儀の後、
 親戚に寄ってもらうこともできないし、
 祭壇をおくこともできない。
 第一これからお母さん一人で住むのに
 安全な家にしておかないと困るでしょう。」

 

と説得をし、初めて
「あなた達に任せるわ」の
言葉がでて、スタートできました。

 

葬儀までの1週間、
とにかく断捨離をしました。

 

座敷にあったものは、
随分前に閉じていた習字教室のものが多く、
その後はだれも後を継ぐことはなく、
今となっては必要ないものです。

 

その他のものも、
ほとんどいらないものでした。

 

床の間や広縁、廊下にも
モノが積んであり、
その中には粗大ゴミや
分解しなければならないモノもあり、
捨てるのも大変でしたが
妹と二人で頑張りました。

 

そして、だんだんと
モノが無くなってきて、
気になってきたのは床です。

 

畳の部屋なのですが、
その上にゴザがぴっちりと
敷きつめられていました。

 

そのゴザがすすけたり、
汚れていてみすぼらしいのです。

 

この下はどうなっているのだろう?
とピンをはずしてめくってみたら・・・
なんと綺麗な畳がそこにあるでは
ありませんか!

 

「ゴザを外そう!」

 

といった時の母のことばが
忘れられません。

 

「はずして畳が汚れてしまったら
 もったいないよ」

 

ゴザで覆われ、モノで埋め尽くされ、
断捨離をしなかったら
一生日の目をしなかった畳。

 

それこそがもったいないでは
ありませんか。

 

「お母さん、今はずさないで、
 いったいいつはずすつもり?
 やるなら今しかないでしょう?」

 

ゴザははずすことになりました。

 

これには家具の移動も
必要だったので大掛かりな事でしたが、

 

「火事場の馬鹿力だったね。」

 

と後で妹と笑うほどの力が沸いて、
家具も二人で移動し、ピンも
全部外しゴザをはずしました。

 

青々、とはいかないまでも
綺麗な畳の座敷になりました。

 

葬儀が終わり、お骨となった父と
親族一同とともに実家に戻りました。

 

床の間には掛け軸。
綺麗な畳となった
清々しい座敷に祭壇を設け、
お骨を置き、その前で皆と
お茶を飲みました。

 

前の座敷の状況を
よく知っている叔母が

 

「あなた達、よくここまで
 綺麗にしたわね!
 大変だったでしょう?」

 

と言ってくれました。

 

涙があふれました。
この1週間、悲しむ間も
ありませんでした。

 

納骨の日、父を綺麗になった座敷から
無事におくりだすことができました。

 

お父さん喜んでくれているかな。
きっと喜んでいるよね!

 

実家の座敷の断捨離。
それは私たち二人姉妹の
最後の父への親孝行でした。

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