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「ゴミタワーの女」

-キティ―さん

 
私の意識が戻った時、最初に目に入ったのは、真っ白の天井だった。
 
すぐ近くで、大きな声がした。それが認知症のおばあさんの声だというこ
とは、すぐにわからなかった。
 
記憶が喪失していた私は、精神科の隔離病棟から一般病棟に移り、退院し
たのは、約1ヶ月半後のことだった。
 
「次回同じようなことがあれば、もう退院はできなかもしれないから、再
発には充分注意するように」と医者から釘をさされた。
 
会社は辞めざるを得なくなり、再就職への道は閉ざされた。
家に戻っても、何をすればいいのかわからなかった。
 
ただ一つだけ、身の回りをスッキリさせたいとは思った。
 
しかし、行動が伴わなかった。
 
まるで暗黒のような月日が、過ぎた。
 
2人目の子どもを出産後、何か始めてみよう、と決意をした。
 
普通に外で働けないのならば自分でやるしかない。
 
数年程前に読んだ、やました先生の初の出版本を読み直し、断捨離塾を思
い出し、断捨離セミナーのテキストで復習した。
 
家中の不用品をどんどん手放し、和室をサロン仕様に変えた。
 

そして、いつか独立しようと思っていた小さなビジネスを始めた。
 
自営業は少しずつ軌道にのりはじめ、お客様がはるばる県外から来てくれ
たときには、嬉しくて泣きそうになった。
 
そんな折に、3人目を授かり、出産した。
 
サロンの再開に悩む頃、世の中はコロナ禍で激変していた。
 
また、振り出しに戻った。
 
もう、どう生きればいいのか、わからなくなっていた。
 
でも、とにかく私には、断捨離しか道はない、と思った。
 
実は不用品は、まだまだあった。家族に同意を得ながら、ゴミ処理場に、
何度も往復した。
 
それでも、いくら捨てても、何かモヤっとするものが残っていた。
 
しかし、一人ではどうにもならなかった。
 
あるとき思い立って、断捨離トレーナーのヤマグチさんに助けを求めた。
 
断捨離サポートを終えた次の日、物がなくなったキッチンを見て、私は泣
いていた。
 
「ずっと、会いたかった」そうつぶやいた。
 
変な話である。
 
何もない空間に対して、やっと会えた、と思った。
 
それをトレーナーに報告すると、一緒に喜んでくださった。
 
そして、追加のアドバイスが、私の運命を大きく変えた。
 
「あと気になるのが、キッチンのゴミタワー、食器棚下のゴミ置き場です
ね」
 
ヤマグチトレーナーはまるで私のモヤっと感を見透かしているようだっ
た。
 
私の心は大きく揺さぶられた。
 
背丈より高いゴミタワーは、キッチンの奥にあった。新築した当初、わざ
わざ高額なものを通販で購入した。
 
その横の食器棚の下半分にも、月に数回しか回収のないゴミを、分別し、
丁寧にしまっていた。
 
そして、シンクの下の引き出しには、日常的な生ごみを入れていた。
 
ヤマグチトレーナーは、「キッチンの大半にゴミ置き場があること自体、
気になりますね…」と指摘してくださった。
 
私にとって、そんな視点は、初めてのことだった。
 
「ゴミ置き場を移動してみます」と返信したっきり、そのままになってい
た。
 
確かに、なぜ私はこんなにも毎日ゴミに囲まれてキッチンに立っているの
だろう?
 
そんな問いを数か月続けた。
 
とうとう、答えは出なかった。
 
TVで、やました先生の活躍ぶりを見ていたある日のこと、「失敗してみ
ればいい」という、音声が頭に響いた。
 
ヤマグチトレーナーから指摘されてから、早1年が経とうとしていた。
 
ゴミタワーは幸いにも2つに分割することができた。それを車に積み、感
謝とともにゴミ処理場へ運んだ。
 
その日の夜、すっぽり空いたゴミタワーの場所に、私は、何か違うものを
感じた。
 
翌日から、その横の食器棚が気になるようになった。
 
しかしこれは夫の食器棚だった。違和感があるからといって、私が勝手に
捨てるわけにはいかない。
 
素直な気持ちを打ち明けるまでに、更に数か月かかった。「食器棚、低く
してみたいんだけど…」
 
おそるおそる尋ねた私を、夫はすぐ承諾してくれた。
 
「キッチンのものは、全部任せるよ」
 
早速、粗大ごみに出し、自分好みの食器棚を注文した。
 
背丈が低くなり、雰囲気が変わった。
 
ゴミ類は、なんとかなった。
 
そう、最初からなんとかなる事だったのだ。
 
私は少し自由になった気がした。
 
そして、昨年、最大級のモンスターを断捨離した。
 
それは、数年間、同居をしているにもかかわらず口をきかなかった高齢の
母だった。
 
結婚当初から同居を続け、私は妻として母として娘として頑張ったが限界
だった。
 
母が出て行ったあと、ぽっかりと部屋があいた。
 
もう会うことはないかもしれない、と思った。
 
しかし、なぜか関係は真逆となった。
 
ふるさとで母は人生初の一人暮らしを満喫し、私たちは毎日LINEで通話す
るようになった。
 
ふるさとの空き家は、実は人が住める状態ではなかった。私は子どもを連
れて帰省し、妹と共に軽トラックで何往復もした。
 
BSの「ウチ断捨離しました」で、番組史上最高の物量と言われるレベルと
同等だった。それもそのはず、裏にあった大きな物置の中の物をすべて家
に押し込んでいたからだった。
 
私は、番組の内容を思い出しながら必死だった。滞在期間はたったの1週
間。真夜中も作業は続いた。仕上げのクリーニングは業者に頼み込んだ。
 
キッチンが見違えるようにピカピカになった。
 
それから一年経ち、やっと母はこう言った。
 
「なんか軽くなった。もう、住めそうだわ」
 
そして、今年私は、更なるモンスターをやっつけた。
 
寝室の奥のクローゼットにずっとあった、「会社員時代の戦闘服」だっ
た。
 
もう、会社へは戻れない。それを直視するのが嫌で、そのままになってい
た。
 
一番お気に入りだけ残して、全てリサイクルへ出した。
 
空いた空間で、子ども達が秘密基地として遊び始めた。
 
自習スペースも新たに設け、幼い姉妹が遊ぶスペースも、確保できた。
 
何もない空間で、大きくカラダを動かして遊ぶ姿があった。
 
夫の寝室も、新たに作れた。何年かぶりに熟睡できているらしい。

 
物が減ったら、不便どころか身動きが取れやすくなったのを家族全員が実
感した。
 
断捨離は、人によって捉え方が様々あるが、私は自然の営みのように感じ
ている。

 
例えば、作物を無農薬に変えるには、まず土づくりから始まるという。何
年もかけて、土壌を自然な状態に戻していく作業は、根気と試行錯誤の繰
り返しとなる。そして、虫からの被害も絶えない。それでも、共存してい
く道を探し出す。

 
断捨離も同じように、途中で家族の邪魔が入ったり、意図が伝わらなかっ
たりもする。しかし共存していくためには、ちょうどいい所に線引きをす
る必要がある。自分を本来の自然な状態に戻すプロセスは、何年もかか
る。

 
私は、断捨離のおかげで、冒頭に書いたような状態から回復することがで
きたと言っても過言ではない。
 
先日、自分が笑っていることに、初めて気が付いた。何年ぶりの感覚だろ
うか。
 
今、育児中に「心から楽しい」と感じることができている。
 
さて、来年はどんなモンスターへ立ち向かおうか。
 
やましたひでこ先生、及びその関係者のみなさま、いつも価値ある情報を
 
ありがとうございます。

 
最後に、ヤマグチトレーナーへ

 
ご無沙汰をしております。3年前にヤマグチトレーナーが発見してくだ
さった、ゴミタワーの女は、私の中から、やっと姿を消しました。また今
度お会いしたら、どんな名言が飛び出すか、楽しみにしています。

 
ありがとうございました。

kitty_after

 

 

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