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実母と義母の愛

– ばきんちゃん さん

私には一つ上の兄がいました。交通事故で三年前に亡くなりました。兄は生まれて1ヶ月で心臓の手術をしたそうです。何とか生きてくれ、両親はそんな兄を心配し、大切に育てていました。そして私が生まれ、私は物心ついた時から両親に心配を掛けない子供でした。本当に賢い子だったと、母はよく言っていました。

 

子供ながらに自分も両親に褒めて欲しくて、認めてほしくて、聞き分けの良い子供でいたのでしょう。そして、思春期の頃には兄ばかり可愛がる母、女と言うものはこうあるべきだ!男とは違うんだ!男女差別の固まりのような父。こんな両親に反発を覚えていました。この家に私は要らないんだ。居たくないと思うようになり、家を出て行きました。そして23歳の時国籍の違う人と結婚をしました。勿論両親、兄、親戚の反対に合いました。結婚式には両親だけ来てくれましたがもう実家に帰れない身になりました。結婚式当日私のお化粧を担当してくれた女性の言葉が私の頭の先からつま先まで染み込みました。この国のお嫁さんは姑に可愛がって貰えたら幸せになれますよ。との言葉でした。

 

もう帰る所の無い私が生きていくには、姑に可愛いがってもらう他はないと心に決めました。

 

そうして28年間義母の隣で生きてきました。こうして生きて行くほか無いと思い込んでいました。そして5年前に義母は亡くなりました。時間が止まったかのように義母との楽しかった思い出の中でじっと暮らしていた頃、嫁いだ娘が私にこう言いました。「お母さん、もうあーちゃん、(義母の呼び名)は居ないのよ。これからは自分の好きな物に囲まれて、好きな事をして生きていったら良いと思うよ。」断捨離を勉強して居た娘の言葉でした。娘が断捨離を勉強していた事は当初知らず、何を言っているのかわかりませんでした。義母との生活は楽しかったですし、こんな私を娘のように可愛がってくれた生活は幸せだと思っていました。ここが本当に私の居場所なんだと思っていました。

 

この人は断捨離を継承されているやましたひでこさんの本だから一度読んでみたら。と手渡され、読んでみました。そして居ても経ってもいられず、食器棚に入っている物と一つ一つ向き合いました。義母が選んで買って持ってきたお皿、グラス、マグカップ。そしてソファー食器棚、ベッドに至るまで…。カーテンはこのお店が良 いよ。冷蔵庫は日立が丈夫よ。テレビ、電子レンジ全て義母と同じ物でした。

 

断捨離を始め、お皿、グラス、お茶碗などを捨てていくと自分で選んだ物、好きで購入した物が1つもなかった事に愕然とし涙が溢れ出て止まりませんでした。

 

私はここで28年間暮らしていたんだな。

 

クローゼット 押入れ 物置 冷蔵庫 引き出し キッチン周り…不要、不適切、不快な物を選び 捨てて積もった埃を拭き取り磨いていきました。どんどん家の中に空間ができていきました。そして感じた事は物も時間もすべて他人軸だった事でした。嫌われないように良い嫁良い妻だと思われたくて頼まれた事、頼まれていない事、あれもこれも私がしなきゃ!と思い込んでいました。姑に私が1番の嫁だと思ってほしくて。そして結婚に反対した人達を見返してみせる。ここで私はこんなに頼りにされていて姑に可愛いがってもらい、こんなに幸せなのよ。と走り続けた28年間でした。よく頑張ってきたねと自分を褒めてあげたい。

 

今思えば実母は実母なりのやり方で2人の子供を愛してくれていたのでしょう。でもそれは私が望む愛ではなかっただけなんだと。ただただ母に愛してほしくて、満たされない心と自分の居場所を求めての長かった日々!

 

先日、私がどんな思いで56年間を生きてきたのかを母に話す事ができました。母は胸が張り裂けそうだと言っていました。

 

断捨離に出逢い冬山の氷が少しずつ溶けていのを感じ、そして暖かい太陽の光を燦々と浴び、そこに小さな新芽があちらこちらに出て来ている、今はそんな気分です。その新芽がこれからの私の好きな事、好きな物、好きな人のようです。

 

主人にも素直に正直に気持ちを伝える事が出来るようになりましたし、2人でいる空間、時間が穏やかでゆっくり流れていてとても居心地がよく、何より自分が無理をしていないのを感じています。これからも2人で今この時を大切に という気持ちで過ごしていきます。

 

断捨離に出逢わせてくれた娘 、やましたひでこ先生ならび断捨離に携わっておられる全ての方に感謝しながら これからも断捨離を続けてごきげんな人生を送っていきます。私の気づきを最後まで読んで頂きありがとうごさいました。

 

私の好きな食器が一つもなく泣いて断捨離をし、3年後に私のお気に入りの食器達ばかりになりました。

 

 

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