ホーム / 断捨離体験談2022(グランプリ:ゆみさん)
「愛すべき私の人生」
-ゆみさん
私の断捨離は「実家の断捨離」から始まり、巡り巡ってまた実家の断捨離へと帰ってきました。
7年前、私は東京の家族から離れて、私の実家で両親との同居生活を始めました。一人っ子の私が親のお世話も会社も引き受けなければならないものと思い込んでいました。
父から『「家を守ること」+「会社を守ること」=お前の宿命』と言われ、それが呪縛となっていたのです。結婚したのを機に、実家を離れて約30年。気づかないうちに私の価値観は大きく変化していたようです。11回の転居を繰り返し、環境の変化を体験し続けてきた私、一方で住み付いた土地を離れたことがなく、最期まで家に居続けた父(旅好きで、いろんな土地を見てはいました)と価値観に乖離があるのは仕方のないことでした。
父と私の価値観のぶつかり合いが展開しました。親にとってはいつまでも私は「子ども」。父は私をコントロール《管理、しつけ》するのが自分の務めと思っていたようでした。特に会社の仕事については、事細かに指示命令が出され、それを言われたとおりにやらないと、お叱りを受ける。指導は会社を離れても家に持ち越され、呼び出される。心の休まるときはありませんでした。
私のやりたいことと父の指示がことごとくぶつかるようになり、些細なことでも素直に従えなくなっていきました。父の方も私の提案に対して「わしに命令するな!」と拒絶。飛び出す暴言に辟易としていました。
それでもなお、「自分がやらなければ、代わりはない。」「ここで投げ出したら世間から笑われる」「夫や娘たちにも面目が立たない」自分の心ではなく、他人の評価ばかりが気になり、取り繕うように、自分をごまかし、我慢し、頑張り続けました。俯瞰力のなかった私はまんまと父のコントロール下に入って、もがいていたのです。
両親との関係、会社の社員さんとの関係、取引先との関係、地域との関係、親戚との関係、東京にいる家族との関係。全てにおいてよく思われたい。そんなありえない幻想を抱いていました。自分軸がなく、ただただ周りに合わせる自分。当然のことながら、不全感と閉塞感でいっぱいでした。
「私の人生こんなはずじゃない」悶々として身体も心も重く、悩んでいたときに断捨離との出会いがやってきました。行き詰っていた私は「とにかくやってみよう。」ただ直観に従い、自分にとって不要なモノを捨てていきました。「もう二度とこの家に帰らないつもりで、始末をつける」という想いで、次々とモノを捨てていきました。
これまでの曖昧だった父への反抗心が剥きだしになりました。自分の心の中にあったガラクタを捨てるがごとく、手放す。捨てたら、それまで見えていなかったモノが、見えるようになり、またそれを捨てる。モノと一緒に手放していたのは、両親への不満と被害者意識、罪悪感…。
それまでの曖昧な自分、両親や他人との境界線のあやふやな関係性を変えたかった。自分で自分のことを決められずに、父の言いなりになるか、許可を求めないと行動できなかった私に始末をつけて、両親のもとから離れることにしました。
実家を出る日を決めると、覚悟も決まり、「立つ鳥跡を濁さず」の言葉どおり飛び立とうと、片づけていきました。父は私が改心して、父の敷いたレールに戻ることを期待していたようでした。母は私のことをいつも気遣ってくれましたが、『心配』のエネルギーが付属していたため私は『心配される私』『信頼されない私』というセルフイメージをつくっていたように思います。
親への感謝は持ちながらも、親への依存を断って私の人生を生きる道へ舵を切り、3年間過ごした実家を後にし、東京の家族のもとへ帰りました。しかし家族との関係は決して良好ではなく、断捨離が続きました。
3年いなかったのだから、当然のことながら、私の居場所を感じられない家でした。引越を繰り返してもモノはそのまま引き継がれ、それなりに納められている。モノ軸、収納軸の住まいでした。家族5人が暮らす家をどうしたら心地よくできるのか?考えました。
人のモノに手をつけたくなる衝動を抑えて、自分のテリトリーと思われるところからせっせと捨て始めました。捨てて自分はスッキリするものの、家族との関係が変わる気配は感じられませんでした。「私の断捨離これでいいのだろうか?」と疑問を持っていた頃に「断捨離自宅サポートトライアル」のお知らせがきました。
不安はありましたが「自分の人生を変えたい」という強い気持ちがあり、初めて断捨離トレーナーさんと直にお会いする機会を得ました。当日はドキドキしながら、家の中を見て頂き、『キレイに納まってますね』と褒めて頂き、少しホッとしましたが、その後「あなたの居場所はありますか?」と聞かれました。さすがトレーナーさんです。
住まいから私の心の中を感じ取られていました。モノは納まっていても私の居場所、私が心地よく過ごせる空間ではなかったのです。実際に夜寝ていて息苦しくなって目が覚めることが度々ありました。
共用スペースに置かれている家具、一つ一つはそれなりに良いモノではあるけれど、残念ながらどれも私のお気に入りのモノではなく、調和もありませんでした。
「夫がお気に入りの大きな額入りの絵」
「父からもらった絨毯」「夫の選んだ絨毯」
「父からもらった電話台」「祖父から結婚祝いにと贈られた食器棚」
「夫が単身赴任先で使っていた座卓」「夫が新しく買った黒革のソファー」
どれも私が選んだものではなく、「あるから使っているモノ」ばかりに囲まれていました。しかも夫の管理下で配置されていましたから許可なく動かすことはできません。その空間の中でモノによる代理戦争が繰り広げられていたのです。
夫は「父に挑んでいた」「主導権は自分ある」とモノで主張し、家族を管理下に置こうとしていたのだと後になって気づきました。
人は言葉で言えないことをモノで語らせる
人が自分では気づかないことが空間に現れている
その後、東京の住まいに始末をつけることになりました。3人の娘たちはそれぞれ自立し、独り暮らしを始めました。夫は娘たちを手放すことに抵抗があったようでした。まだ手元に置いておきたい気持ちや、心配な気持ちがあったのかもしれませんが、私はあの時に手放して本当によかったと思っています。
子どもには子どもの人生があり、親には親の人生がある。心配ではなく、信頼をもって手放せば、それぞれの花を咲かせていく。私はなかなか親離れができなかったけれど、それぞれの人生を試行錯誤しながら歩き、成長しています。
父が亡くなって8ヶ月、実家の断捨離を進めてきました。父が溜め込んでいた不安の証拠品であるモノたちと向き合い、格闘し、痛み、不快を感じながらも大量のモノを捨ててきました。
重かった家の気は徐々に軽くなってきましたが、まだクリアではありません。しかしながら、いたるところから光が射し込むようになってきました。希望の光です。私の断捨離の軌跡を振り返ってみて、人間とは、なんと愛すべき存在なのだろうと思えました。
未熟であるからこそ、よりよく、より成長しようするのだから。私は私を好きになり、自分が信じられるようになりました。私は愛されている存在と思えるようになりました。
誰もが神様から愛されている愛すべき存在なのです。
ありがとうございます。