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母の呪縛から解かれた今

– きみこ さん

昨年の今頃、
私は長く暗いトンネルを彷徨っていた。
もやもやと霧の中にいた。
 
逃げ出すように
よく夫の単身赴任先に逃げ込んでいた。
 
ある時ふと以前少し友人と取り組んだ
「断捨離」という言葉に
吸い寄せられるようにポチしていた。
 
それからというもの、
毎日ラジオのように聞いていた。
 
気づいたら断捨離塾のQ&Aに
「母が急死し実家の、
特に母の遺品の片付け、
父との関係をどうしたらいいか」
という悩みで応募していた。
 
するとびっくりしたことに
1週間後にやました先生が応えてくれた。
 
そこには
「質問からは全くあなたの家が見えてこない」
という言葉!愕然とした。
 
そう、私はずっと私の家族でも私自身でも、
そして生きている父でもなく
亡き母のことを考えて過ごしていたのだ。
 
そして先生は
「まずはあなた自身が
幸せにならないことにはなにも始まらない」
と指摘してくれた。
 
初めて救われた気持ちがした。
少し霧が晴れ私の中で何かが動いた。
 
同じような時に第1回目の
「ウチ、断捨離しました」の再放送を見た。
ただただ感動し、
「私もあっち側の人になりたい」
という一心であっという間に番組に応募していた。
 
半世紀以上取り繕い隠してきた本当の自分を
テレビでさらけ出す結果になることよりも
「もうパンパンで隠せない!苦しいから助けて!」
という気持ちから行動した。
 
そして、あの1通の質問から
私の心の叫びを聞き取ってくれた
やました先生を信じたいと思ったのだ。
 
それだけ私はがんじがらめになっていた。
そして先生のアドバイス通り
まずは私の家を断捨離することになった。

 

まだコロナもこんな状況になるとは
想像もしなかった1月中旬、
先生が我が家に来てくれた!
 
そして一言、
「いわゆる片付いている家、
でもきれいに便秘している」と。
 
そうなのだ、
私は片付けられない親のおかげで、
小さいころからきれいに
片付いているように見せるのが
得意技になっていた。
 
それがこのがんじがらめの苦しい原因だったのだ。
顕著に表れていたのが洗面所。
ナンバリングして管理されたストック品が収まり、
洗濯から着替えまでそこで効率よくできるように
なっているコックビットのような空間。
 
少し凸凹はあるもののの
うまくあるものを活用して
何の問題もないと思っていたところが突破口となった。
 
面白かったのはビニール製の片方の足袋(あしぶくろ)。
 
先生の「これ、何?」という疑問に私は得意げに
「足を骨折したときに固定したまま
濡れずにお風呂に入れる便利グッズです」と答えた。
 
「なんでこんなものがあるの?あなた骨折するつもり?」
 
「え?!」考えてみたらこの15年、
常に何かに追われ何かが頭の中で渦巻いていたから
5回もどちらかの足を骨折していて
この足袋を捨てずにいたが、
これこそ「備えあれば憂いあり」の典型。
 
実際私の家にはそんなモノや、
何かの勲章めいたもので溢れていた。
 
その後やました先生の愛弟子の
小林ふみこトレーナーが3日間付いての集中断捨離。
 
次の日はカウンターの下を
すっきりさせるためにキッチンのモノを片付けた。
 
100円ショップのかごに小皿、
マグカップ、茶椀など種類別にきれいに入っている、
私の知恵の塊の自慢の食器棚をあっさり否定。
 
「見て、食器棚が重くて悲鳴をあげてるわよ」
よく見たら食器棚の底が抜けそうになっていた。
 
結局選別してみたらそれほど使ってなくて
並べてきれいに入れていただけ。
 
むしろキャンパスのように食器を並べてみたらいい感じ。
 
私って頭いい、なんて詰め込んでいたけれど、
詰め込み教育が意味ない象徴のようなもの。

 

ただ一つどうしても捨てられないものがあった。
土鍋である。
 
我が家の土鍋は30年もの。
新婚時代から来客の度に登場し、
メキシコ赴任の際は日本からの出張者と鍋を囲んだ。
 
帰国してから子供も増え成長し、
食べ盛りの子供達と囲むには小さくて
随分と年季ものとなったため、
何度も大きいものに買い替えようとお店に行った。
 
だが結局この鍋に変わるものが見つからず
「割れないね」と言いながら使い続けている。
 
家族の成長だけでなく、友人との思い出、
いろいろな場面をずっと見つめてきた土鍋。
 
でも、来客時にもし使っているとしたら
断捨離的にはアウト!
 
小林トレーナーはじめ、番組スタッフにまで
「いろいろなダシがしみこんで、むしろ失礼」
とまで言われ、いきなり断捨離の
上級問題を突き付けられたように思った。
 
整理収納の視点から考えると、
依頼主が今使っているものは
きれいに収納すればいいこと。
 
でも断捨離はいちいちなぜこれはここにあるのか、
持っていてご機嫌なのか、
私にこの場面にふさわしいのかを考えて選択するという。
 
びっくりした!
そんな経験、初めてだったからだ。
 
結局私は土鍋を捨てない決断をした。
捨てられない理由を熱く語り、
番組側も保留事項となった。
 
その夜子どもたちとこの土鍋の話をした。
 
子供たちは
「この土鍋の価値は他の人にはわからないよね」
と言ってくれた。

 

もう一つ、友人からの贈り物で
奇抜な黄色と赤のスペインの土器。
 
こちらはまさにメキシコ料理をもてなすときに
サルサを入れるのに大活躍で重宝していた代物。
 
でもそれもよく見ると欠けていて、
それこそお客様をもてなすにはふさわしくない、
と言われた。
 
友人からもらったものだし捨てるの?
と思って迷っていたが、
修理するには結構お金がかかると言われ
結局捨てることにした。
 
そしてそのままゴミに間に合ったので
保留する暇もなくゴミとなった。
 
実は私はそっちを捨てたことの方がずっと気になっていた。
いつかスペインに行って買ってこようと思ったぐらいだ。
 
だがこれもひと月後
次の実家を片付けたときに少し違う形だったが、
メキシコで母がお土産に買った器が見つかり
結局今はスペインにわざわざ行かなくても
サルサを入れるのにぴったりな器が手に入った。
 
これこそが断捨離だと思った。
 
土鍋は見た目ではいつ捨てられても
おかしくないものだが、
あれは普通の土鍋とは違う家族の宝物。
 
でも友人からの大切だと思っていた贈り物の器は
捨てたらまた違うものが入ってきた。
 
たった二つのモノで断捨離の神髄を体験したのだ。

 

後日、小林トレーナーが土
鍋のことを気にされていたと伺った。
 
でもあの土鍋のことがあったからこそ
本気で物と向き合う断捨離の意味がわかった気がした。
 
人の家の土鍋でこれだけの人が考えることもわかった。
何よりこのことがあったからこそ
3日目は小林トレーナー含めスタッフの方々とも
「ワンチーム」となって断捨離に取り組めたのだ。

 

その後、うちの家がすっきりした後
いよいよ実家に取り組んだのだが、
この断捨離の番組に出て随分と家族関係が変わった。
 
夫は優しくなり私を認めてくれた。
子どもたちは成長し頼りになるようになった。
 
でも本当は私の捉え方が変わっただけなのかもしれない。
 
以前はなぜ私ばかり
という気持ちでがむしゃらにやっていたことも
今は流れのまま素直な気持ちでいられる。
 
一人でいじけて頑張りすぎて
誰かに認めてもらおうと
遮二無二なっていた私とはさようなら。
 
母の呪縛なんて元々なかったのだ。
 
むしろ父と母のおかげで断捨離に出会い
やました先生が来てくれた。
 
なんて幸せなことだろう!
だいぶ回り道したけれどやっと出会えた断捨離。
 
たおやかに楽しみながらやっていこう。
ありがとう、そしてこれからもよろしく。

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