ホーム / 断捨離体験談2019(入選:安達章子さん)
たった一枚のお気に入り
– 入選 安達章子 さん
今年の夏、母はグループホームに入居しました。
去年、父が亡くなってから、少しづつ身の周りのことをするのにも心配なことが増え、ある日に転んで腰椎を骨折したのをきっかけに入院。リハビリ施設を経由しての入居でした。
地元の小さなグループホームですが、6畳ほどの洋室を一人で使わせていただいているので、最低限の家具を入れ、明るい色のカーテンなどで整えて、スッキリととても居心地の良い部屋になりました。
「お母さん、スッキリした部屋になって良かったね。気持ちいいでしよ?」
「そうだねえ」
思えば、ここにくるまで、私が結婚して家をでてから30年間の母の生活環境は物に埋もれていました。
実家は2世帯住宅仕様で、決して狭くない2階建の一軒家です。
祖父母が亡くなり、私と妹が結婚して家をでて、、住人が減るごとにどんどん物が増え、私は実家に来るたびにその状況を嘆きかわしく思い、母とはことあるごとにケンカになりました。
実家に帰っても自分の居場所を作るために、まずは物をどかさないと座れない状況でした。
一緒に食事をしたくても、
台所は空きのスペースがないので、調理をするにも大変ですし、
冷蔵庫をあければ、詰め込んでいるものが落ちてくるし、開けたくもない状況でした。
しかし、さすがに衛生上もよくないので、ある時徹底的に片付けたのとがありました。その時には使いかけのドレッシング類が9本、マヨネーズ4本、使いかけの酢味噌和えの素11個(父の好物でした)、からしチューブ4本、わさびチューブ3本(全て使いかけ)
奥の方には賞味期限切れのさまざまなものが、詰め込まれていて、マスクと手袋をして半分以上の物を捨てました。
その横から母が
「ちゃんとよく見て捨てて」
「それはまだ食べられる」
「あなたは何でも捨てる」
と口うるさく、ケンカになります。
しかも、片付けてもまたすぐ元に戻ってしまい、同じ事の繰り返しで、最後はケンカになるので、もう台所は見ない、食事は作らないことに決めました。
お弁当を買ってきて食べればいいと思いましたが、食べる場所を確保するのも大変です。
食卓の上は新聞にチラシ、薬、ダイレクトメール、食べかけのお菓子やお茶などの箱などで溢れて、お弁当すら落ち着いて食べることができません。片付けるとその都度ケンカになり疲れます。
一事が万事ですから、日用品に関しても、シャンプー歯磨き、化粧品、トイレットペーパー、その他ありとあらゆるものが、在庫もあちらこちらに相当数あるし、使いかけのものも複数あるしでどこに何がどのくらいあるかがわからない状態でした。こちらもアイテム別にまとめて、在庫が一目瞭然になるよう工夫したり、在庫があるものは買わないようと言っても、セール品を、見つけるとまた買い足す状況でした。
洋服、下着に至っては、それぞれうんざりするほどの数がありました。
ある時数えてみると
カットソーのようなトップスだけで156枚
パンツやスカート類86枚
下着のブラトップやキャミソールは128枚
ショーツ141枚
靴下にいたつては、タンスだけではなく、ダンボールにまとまってあつたり、ほかの場所からもでてくるでてくるなので、最終数字確認できず(笑)、もちろん、100足以上はありました。
それらが、整理できてなく、タンスや衣装ケースや段ボール、ビニール袋!?などに詰め込まれているので、いざ着ようと思っても着たいものが見つからず、その都度
あれがない、これがないと言い、
買おうとするのです。
「沢山あるでしよ」
「同じような物あるでしよ?」
と言って止めるのですが、
またその度にケンカになり
「ないから買うのに」
「あんたは意地悪だ」
いつも母はこの調子でした。
30年間、このような母との断捨離バトルを繰り返していました。
物に埋もれた実家は居心地悪く、母はいつも文句ばかり、当然行く回数も少なくなっていました。
そして去年の2月に父が亡くなりました。
それからの父の物の整理でも断捨離バトル(本当なこんな言葉は使いたくないですね)がありましたが、母の認知症がゆつくりと始まり、だんだんと文句の勢いがなくなってきました。
そして今年の夏、
グループホームに入ってからは、母の様子がすっかりかわりました。
あれだけ物に執着し、捨てなかつた母でしたが、今は何も欲しいとも言わなくなりました。
今の母の部屋はベット、クローゼツト、その上にはテレビと写真立てが3つ。
それ以外の物はなく、本当に清々しいです。洋服や下着も最低限。
それでも文句は言わず、毎日穏やかに過ごしています。
先日、妹と一緒に夏物から秋冬物の洋服を入れ替えにいきました。
その中に母のお気に入りのカットソーあつたようで
「そうそう、これこれ
これが好きなのよ」
私達には何故これが特別好きなのかわかりませんが、なぜか母はこの一枚が気に行って、その後もヘビーローテーションで着ているそうです。
実家が物で溢れていたのは、もしかしてお母さんの不満のはけ口だつたのかな。そう思うようになりました。
祖父母、父、私達姉妹にもいつも文句を言っていた母、そんな文句は物になり、母の周りを鎧のように固めていったように思えます。
父が亡くなり、毎日文句を言う相手もいなくなつたので、何もいらなくなつたのかな、そんな風に思います。
「たった一枚のお気に入り」
の洋服があるだけで、本当はお母さんはご機嫌に過ごせる人だつたんだね。
早く気がつけばよかったけれど、これからでも遅くないね。
シンプルに、清々しく、
文句なしでこれからは生きようね。長生きしてね。