断捨離® | やましたひでこ公式サイト

断捨離®の著者、やましたひでこの公式サイト

 

ホーム  /  断捨離体験談(『今の私にぴったり』:りぼーん)

今の私にぴったり

– りぼーんさん

 

断捨離メールマガジンを受け取り始めたきっかけは,
はっきり思い出せないけれど,
毎回届くその内容が『今の私にぴったり!』
と驚くことしきりでした。

 

これは神さまがくださったご縁なんだろうなぁと,
かかさず読み続けて,もう2年くらいは
経ったでしょうか。

 

とても印象的な出来事があったので,
お聞きいただこうと思い,筆をとりました。

 

“片付けが苦手で何をやってもダメな私”も,
メルマガに力を分けてもらいつつ,
少しづつ断捨離に取り組んでいました。

 

そんな中,部屋の中で半端ない圧迫感で
毎日私を監視しているかのような“婚礼ダンス”と
ついに向き合う日が来ました。

 

このタンス,その名の通り結婚する時に
両親が持たせてくれたもの。といっても,
その婚姻関係は解消されてすでに5年以上が経ち,
その後引っ越した手狭な一人暮らしの部屋には
当然似つかわしくなく,それどころか
地震が来てこのタンスの下敷きになったら…
と不安の種でもあり。

 

『高かったから。』
『桜の木目が素敵だったから。』
『母と一緒に一生懸命選んだから。』

 

そんな理由が浮かんだのさえかなり後からで,
断捨離に出会ってからもタンスを手放すこと自体,
全く考えていませんでした。

 

『母が許すはずがない。』
これが根底にある揺るぎない理由でした。

 

物心がついた時から両親の言う通りにする以外は許されず,
やることなすことの全てを否定されてきた私に
選択の余地はないと思い込んでいたのです。

 

もういい歳の大人で,親から離れて暮らしている
期間の方が長いにもかかわらず!
『これを手放したらなにを言われるか。』
『一生持ち歩かないといけない。』
そう信じて疑うことはありませんでした。

 

しかし,断捨離がただの片付け術ではないことが
わかってきて,自分を大切にしたい,
今後は他人軸やモノ軸ではなく自分軸で生きていきたい,
と思った私は,やっとタンスに見切りをつける
決心がついたのでした。

 

気持ちが固まると早くすっきりしたくて,
引き取り手がないかすぐに探し始めました。

 

このタンスは本当に綺麗だから,
できれば再利用してもらいたくて,
いろんなところに連絡をしてみました。
でも,残念ながら難しいことがわかり,
やむなく処分するという結論にいたりました。

 

そこである業者さんに連絡すると,
混み合っている様子でまた後日連絡をします,
と言われ,電話を待つことに。
ところが,しばらくすると一転して,
1時間後くらいに行けますと連絡が入りました。

 

ただ,今日は人手がないので1人で行きますと。
この巨大なタンスをひとりで運べるのだろうか,
と少し不安がよぎりましたが,
早くすっきりしたかった私はお願いします
と電話を切ったのでした。

 

しばらくして到着された業者さんは,
当然タンスを運び出す準備をされて来ていたのですが,
問題のタンスは和ダンスと洋ダンスがねじで
接続されており,そのねじをはずす道具を
持っていないことが判明しました。

 

ねじをはずせなければ,この巨大タンスを
ひとりで部屋から運び出すことはできません。
あぁ,今日は無理なのかな,とここまでの
流れの良さから急に失速した状況を
少し残念に思っていたところ,業者さんから提案が。

 

「ここでばらしてもいいですか?」と。
一瞬,意味がよくわかりませんでした。

 

問い直すと,この場でこのタンスを解体すれば,
ひとりでも運び出せるとのこと。
そんなことできるの?と思いつつも,
業者さんにお任せすることに。
すると,とても頑丈に作られている和ダンスの
扉を素手でバリバリバリっ!と引き裂き始めました。

 

あ,と思う間もなく,反対側の扉も。
思いもがけない大きな音が部屋に鳴り響きます。
硬い蝶つがいが飛び散り,壁や窓に当たります。
あんなに大きくて重くて立派だったタンスが,
こんな簡単に壊せるなんて…。

 

息をのんで立ち尽くす私を見て,業者さんが
「大丈夫ですか?」と声をかけてくださいました。
予想もしていなかった事態に,『なんとか…。』
と答えるのがやっとの私。

 

数十分後 “その役割は終わった”ということを
私の目の前で明らかにした形で,
元婚礼タンスは台車に乗せられ,
部屋から去ってゆきました。

 

衝撃的な幕切れを体験し,いろんな感情や思いが
混ざり合っていました。悲しいような,
申し訳ないような気持ち。
母からの常に感じていた支配感から
少し解き放たれたような気持ち。

 

きれいな婚礼ダンスのままの状態で
去っていくのではなく,
わざわざ私の目の前で破壊されて
役割の終わった姿を晒してからの別れ。

 

まるで,目を開いてしっかり結末を見ておきなさい,
そしてあなたは縛られることなく自由でいられるんだよ!
というメッセージのような。
これは私にとってとても意味のある象徴的な出来事でした。

 

新しく移り住む際にも,
このタンスがはいるようにと懸命に
ひとりで部屋を探していた時の自分,
そして狭い部屋で窓さえも覆うほどの
不釣り合いな巨大タンスに見下ろされながら
何年もの日々を暮らしていた自分。

 

タンスの中身は母が好きで私に持たせた
出番のない着物がぎっしり詰まっていました。
タンスは母の分身,そしてそのタンスを
自分より大切に考えて過ごしていた私。
母の支配から抜け出せない息苦しさ,
そして実際に窓や通気口が塞がれている
閉塞感の中で毎日を過ごしていたことに,
やっと気づいたのでした。

 

遮るものがなくなった窓からの光と風は清々しく,
いえ神々しくさえあり,タンスが去ったあとの床を
掃除しながら,今までの自分をよく頑張ったと
誉めてあげたい気持ちになりました。

 

そして,結果的に疎ましく感じてしまっていた
タンスさんにもありがとうと。

 

できないと思い込んでいたことができたこと,
モノに張り付いている思いに気付けたこと,
もったいないからという気持ちはモノを
大事にしているとは違うこと。

 

このタンス断捨離事件は
いろいろなことを教えてくれました。

 

長年培われた母からの呪縛は
そう簡単には解けないけれど,
これからも新しい空気をたくさん吸い込んで,
さらに自分の気持ちがよいように生きていこうと思います。

サイト内検索

 

 

記事一覧

 

 

 

断捨離®塾について

外部サイト