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「人とふれあうのが楽しい」・・こんなふうに思える自分が、今はとても嬉しいです。
– S.Eさん(2012年 準グランプリ)
断捨離を学んで、行きつ戻りつしながらも少しずつモノを手離してきましたが、
断捨離候補品目にすらあがらなかったモノに、風水グッズがありました。
愛らしく美しいそれらが、玄関や部屋のいたる所にどれだけゴチャゴチャ並べてあっても、インテリアにそぐわなくても、掃除が行き届かなくても、「だってそれらは、私を護り、私に幸運をもたらしてくれるはずのモノ」・・と思い、手離すなんて思いもよらなかったのです。
でも、ある日やました先生のCDで、「モノと真剣に向き合う」というフレーズが耳に入ってきたとき、はじめて風水グッズが意識に浮上しました。
金運にいいとされる貝殻や黄色のグッズ、人間関係にいいとされるリスの置物、幸運を呼ぶという龍の置物、八角形のクリスタルのグラスに赤い玉、難を封じるための世話しきれないたくさんの観葉植物・・・・・どうして私は掃除がしにくく、歩くのにも邪魔になりながらもなんの疑問もなくそれらに空間を占領することを許しているのか?・・・真剣にモノと向き合ったとき、出てきた心・・・それは
「風水グッズに頼らないと、幸運は私にはやってこない」
「私には、自分で幸運をつかむ力はない」でした。
そして見えてきたのは、愛情に飢え経済的にも恵まれなかった子ども時代の自分でした。
家庭を顧みない父、厳しいばかりの継母、他所と違う家庭へのコンプレックスで、いつも人間関係では気遅れして苦痛でした。 「受け身」や「あきらめ」が、非力な自分にはふさわしく感じていました。
今は結婚して、一見、恵まれた生活をしていながら、心の底では、経済に困窮することへの恐怖、人間関係へのしみついた苦手意識、自己肯定感のなさ自信のなさで、もっと手にいれなきゃ、もっともっと・・という欲深さがおびただしい数の風水グッズに現れていたのです。
でも、CDを聞いて、風水グッズにすがる自分の姿が実に滑稽に見えてきたとき、私は思い切って、それらを断捨ることができたのです。
入れ替わりに、私の中に入ってきたものは、何とも言えないすがすがしさと、手離すことのできた自分への、かすかな誇らしさと小さな嬉しさでした。
そして、思いついてからの行動の早さに、自分でもびっくりしているのですが、恩讐のために絶対に許せないと頑なに拒んで疎遠になっていた、遠方のケアハウスにいる継母に、15年ぶりに会いに行くことができたのです。
かつて厳しく君臨していた継母の、今は小さなからだを抱きしめたとき、
愛されていなかったわけではない・・継母は継母なりの立場や状況の中で、私を必死で育ててくれたんだ・・・涙とともに、こだわっていたものがすべてとけて流れていくのを感じました。
そして、父のお墓参りを済ませたとき、こんな穏やかな心境になれるなんて・・・ほんの少し前の自分からは想像もつきませんでした。
以降、これまでぎくしゃくしていた職場の人間関係が、なぜかいい感じになり、私もリラックスして付きあえるようになりました。
すべては、私が自己肯定感のなさからバリアーを張って、遠ざけていたことに気付きました。
「人とふれあうのが楽しい」・・こんなふうに思える自分が、今はとても嬉しいです。
断捨離をするということは、自分を損なっている「執着」「こだわり」を手離すこと。
「執着」や「こだわり」が、これほど人生を損なうものだということを、身をもって知りました。
断捨離って、本当にすごくて、素晴らしいものですね。
心から、断捨離に出会えてよかったと感謝しています。
これからも、ひとつひとつモノと丁寧に向き合い、
本当の自分を見つけてごきげんな人生を歩いていきます。
ありがとうございました。(^^)