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「私の山は私だけが登れる」

– ムーンさん

私の断捨離は7年前から始まりました。
 

捨てることにこだわり、訳もわからず捨てたこともたくさんありました。
とにかく今の状況を改善したかったので、捨てなくてはの強迫観念でいっ
ぱいでした。今日も捨てられなかったと後悔する日々。無理やり捨てる理
由をこじつけてまで捨てていました。

 
断捨離の「向き合う」という意味がいつまでたってもわからないままでし
た。断捨離はしんどい。何が楽しいの?さっぱりわからない。でも諦めた
くない。

 
昨年の秋からラインサポートを継続して受ける事を決めました。断捨離を
始めた頃は、婚礼ダンスの断捨離をする人を驚きをもって眺めていまし
た。私にとってはとても高価で、一生に一度、親が娘のために大金を出し
て、夫の結納金も合わせて買ってもらったもの。捨てたら両親や夫に対し
て申し訳ない。スペースを塞いでいたし、傷みも目立つようになったけれ
ど「捨てる」ことは論外でした。引っ越して家族で部屋割りをすると、婚
礼タンス一式を私たちの部屋に置けませんでした。婚礼ダンスの中も家族
の衣類が混ざった状態でしたし、幾竿かが娘たちの部屋に分かれて置いて
あるのです。ラインサポートで毎日、捨てること、気持ちを出すこと、ア
ドバイスを受けることを繰り返すうち、その状態に違和感を感じるように
なり、婚礼ダンスを手放すことに抵抗が少なくなっていきました。

 
娘には難病がありますが、身体の具合が悪くても責任感から休むことをし
ません。長時間勤務と休日出勤、私はどうしていいかわかりませんでし
た。思い浮かんだのはタンスを部屋から出すことだけ。夫も気に入ってい
たタンスだったので相談すると、《最優先は娘の身体》と考えは一致しま
した。この圧迫感を除いたら、何か変わるかもしれない。変わってほし
い。祈るような気持ちで処分を決めました。

 
タンスの中を空にして気がつきました。扉を閉めているとは言え、隅には
埃がたまり、湿気で染みもチラホラ。拭いたりネジを外したりしながら、
「圧迫感があるからといって、ずっと邪魔者扱いしていたね」「埃がたまっ
てもじっと耐えていてくれていたんだね」「結露が多い部屋で、その身体
に黙って湿気を引き受けて、私たちを守ってくれていたんだね」
静かに見守るように一緒に居てくれたのに、本当に申し訳ない気持ちにな
りました。邪魔に思った傲慢な私にも黙って付き合ってくれた、とてもと
ても有り難い存在だったのです。そして、娘のために旅立ってくれるタン
ス。どこまでも尽くしてくれているのだと感じました。「ありがとう」と
心の中で語りかけながらきれいに拭き、「この扉の鏡の前で身だしなみを
整えて出勤したんだ」との夫の思い出話を聞きながら、二人で包装材で1
つずつ丁寧に包みました。分解して置いてあるタンスは「モノ」という感
じで、家の中にあったタンスとは全く表情が違い、まるで死んでいるよう
でした。包みながら、弔っているような気がしました。いろいろな思いが
湧いてきて、涙が次から次に溢れて止まりませんでした。タンスが傷つか
ないように回収場所に置き、もう一度「今まで本当にありがとう」と伝
え、撫でてその場を離れました。その後、娘は部屋の中の物を出して模様
替えをし、念願の電子ピアノを買いました。タンスがある時は「時間がな
いからやりたくてもできない」と言っていたのに、今は合間をぬっては楽
しそうに練習しています。

 
私の断捨離は変わりました。
それぞれの断捨離のペースがある。ゆっくり時間をかけて向き合ってもい

焦らなくていい。

 
自分にとって大切なものをどう大切にするか、お別れの時が来たら大切な
ものとどのようなお別れをしたいのか。これがわかって、ひと山超えたよ
うに思います。また次の山を登ることができるように断捨離を続けていき
ます。断捨離の山を登るのに何年かかったとしても、私の山は私だけが登
ることができるのです。

 
今までサポートしてくださったトレーナーの方々に心から感謝申し上げま
す。道に迷ったら、またサポートをお願いしたいです。やました先生、つ
たない文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。

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