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「寿命が伸びる予感…」

– ロッキングチェアさん

数えきれないほどの気づきを頂き、また寿命が伸びる予感が・・・
 

2023年3月、退職して1年が経とうとしていた。
退職したら、仕事を言い訳に後回しにしてきた家の片づけをやらなくて
は。このまま「後はよろしく」と逝くことになったら家人に申し訳ない。
昔のように友人を招けるくらいに家を整えたい。-そんな思いで、自己流
でチマチマと始めた断捨離は、孤独な作業で、思うに任せなかった。

 
2005年、自ら見つけたステージⅠの乳がん。3年経たずしてまさかの再
発・転移。エンドレスの治療が始まった。薬が効けば数年は延命可能との
告知に、己の命の終焉を覚悟したが、ピンチになる度に新薬の登場に助け
られて命を繋げてきた。今や、生きているだけで丸儲け、死ぬ死ぬ詐欺状
態である。

 
抗がん剤投与のたびに必ずや訪れる体調不良を抱えつつ、職場の理解も得
ながら自分の机にしがみついた結果、 “定年まで勤め上げる”ことが叶っ
た。とはいえ、37年の職業人生活のうち、17年超は病院通い。仕事と
治療を廻していくため、家事は“とりあえず”の状態が続き、客人の訪問も
ご勘弁頂いていた。

 
進学で家を出、就職で関西に骨を埋めると言った一人息子が、転職で9年
振りに我が家の自室に住むという。2つ返事でOKする訳もなく、渋った
挙句の受入れだった。
1LDKのマンションから6畳の子ども部屋への引っ越しは想像を超え
た。何度も片付けたいと思ってきたが、部屋の主は「いつでも帰れるよう
に何も捨てずそのままにしておいて」の一点張り。
そこに濁流の如く53個のダンボールが流れ込んだ。玄関や廊下にもモノ
が溢れ、私の実家に避難させる荷物さえあった。夫との緩やかな生活は、
突然崩れた。

 
息子の引っ越しの1か月程前、ひでこさんの書籍「洋服の断捨離」を購
入。
書籍購入を機にメールが届き始め、断捨離フルサポート・トライアルの案
内が目に留まった。
今やらなくて、いつやるの、と言われている気がした。5月から治療間隔
を空け、元気に動ける時間が月に1週間増える見込みであること、父亡き
後、独居の母が卒寿を迎えるのを機にサ高住に入居させ実家の断捨離に着
手したいこと、息子の縁談が進み年内に家を出ると分かったこと等、条件
が揃った。
このタイミングで家の棚卸をしなければ、体力、気力とも今以上の時はな
い。あとどの位生きられるかという状況で、雑多なモノに囲まれて身動き
出来ない生活を続けるのは、切ない。
と同時に、自宅の片づけすら他人(ひと)様に助けて頂かないと出来ない
とは、主婦の端くれとしてこれ程恥ずかしく情けないことがあろうか、と
いう自責の念もあった。

 
リビングの天井迄高さがある書棚にギッシリ詰め込まれた本はざっと数え
ても二千冊はくだらなかった。通院時等に読んだものだ。私が逝ったら病
院に寄付することになっていたし、生きた証のようで、手放せないと感じ
ていた。
夫から「(断捨離を)やっていると言っている割に、目に見えて何も変
わっていない」と言われ、傷ついた。が、同時に吹っ切れた。本を手放せ
れば何でも処分出来るのでは、と。どんどん段ボールに詰め始めた。瞬く
間に書棚はスカスカになった。

 
そんな中、断捨離トレーナーのMさんが我が家にいらしたのは新緑の美し
い季節のこと。もはや俎板の上の鯉だ。家の中を全て見て頂いた。他人様
にはお見せしたことのなかった寝室や納戸も。
ここ迄我が家の恥を晒して、やっぱり(フルサポートは)止めます、はな
いだろう。自らを追い込んで後に引けない状況を作る必要があった、とも
思う。

 
化粧品類が雑然と置かれ、奥に何があるか見えない程買い溜めたモノが押
し込まれたドレッサーを一瞥し、Mさんが「ここでお化粧は出来ない」と
呟かれた。恥ずかしさで顔から火が出そうになった。と同時に一念発起す
ることになる。

 
目標は、パーソナルスペース(自室)を作り、家を夫と2人で住み始めた頃
の(モノの少ない)状態に戻すこと。
トライアルの始まりはリビングの棚のペン立て。目一杯詰め込まれたペン
立てがいくつあっただろう。その少し前、書けないペン類は全て処分した
ばかりだったにもかかわらず、だ。全て出して、書き易さを確認し、ベス
ト3を選ぶことから開始。結果、小さなペン立てにベスト1と2を、もう
一つのペン立てに、次に書き易く、使いたいモノだけを残した。何故こん
なに同じモノを持っていたのかー呆れる程の筆記用具等が、瞬く間にごみ
袋を満たした。その日から半年近く経過した今も、使ったら必ず元通りに
して、我が断捨離・始まりの聖地としている。

 
フルサポートの価格は安くはなかったが、迷いはなかった。
お話してみるとMさんと私は驚くほど様々な共通点があり、「伴走しま
す」の言葉が力強く胸に響いた。とはいえ、コロナ禍の中での退職後、ほ
ぼ引き籠り状態。細々とヨガスタジオに通ってはいるものの体力低下は否
めず、3時間の実践だけで情けないほど疲労困憊した。

 
それ迄も“断捨離”という言葉は口にしていたし、BSの「ウチ、“断捨離”
しました」もたまに視聴していたが、本格的な勉強をしたことはなかっ
た。サポートが始まってからは、録画して毎回真剣に視るようになる。そ
の都度身につまされ、自分と酷似している状況に驚いた。Mさんからアド
バイス等を聞いていたことで、番組最後のひでこさんの言葉がリアルに刺
さった。

 
マイペースでリビングの棚から始め、一つ終わる毎にMさんにLINEで
報告。アルバムを作り、ビフォー・アフターを記録した。Zoom断捨離
も取り入れ、小さなことも褒めて頂くことで達成感が得られた。
思えば大人になって誰かに褒めてもらうことは殆どない。断捨離と整理整
頓は別物であることも分かった。 

 
片付かないのはモノが多過ぎるから。なのに現実逃避よろしく旅行に出た
り、ホテルに泊まったりでますます片付かない悪循環。家にいても安らげ
ないのでは哀し過ぎる。
自らの愚かさに向き合わざるを得ないしんどさを感じつつ、処分を進め
た。治療を頑張ったご褒美といっては、着る当てもない洋服をポチッと買
い、自分のご機嫌を取っていた。買ったことさえ忘れ、タグが付いたまま
の衣類があちこちから発掘された。捨てる神あれば拾う神あり、で、これ
らを喜んで譲り受けてくださる方が見つかった。重宝して着てくださって
おり、有難かった。
家族共用の物や夫や息子の物は勝手に処分するわけにはいかない。難しい
こともあったが、事前に確認しながら出来る処分を続けた。

 
いつの間にか夫も手伝ってくれるようになった。デッドスペースの元凶
だった台所の棚を処分し、結婚以来使っていた食器棚を買い替え、食器を
半分以下にした。棚が塞いでいた窓が表れ、明るくなった。Mさんから夫
婦共同作業が素晴らしいと言って頂けた。

 
息子が家を出、30数年ぶりに自分の部屋を手にするにはまだ少し時間が
かかりそうだ。が、方法は分かった。ダメ出しせず加点法で、自分の手に
余ると感じたらプロに助けを求めて良いことも体感した。断捨離に終わり
はない。コツはコツコツやり続けること-というMさんの言葉が響く。
数えきれないほどの気づきがあった。今後は手の届かない所にモノは置か
ない。ノベルティは貰わない。収納家具は買わない、etc、etc。
学びを続けているヨガの教えやその時々の要・適・快を問いかけながら、
今の私に適した空間づくりを続けたい。その空間に身を置くことが出来れ
ば、また寿命が伸びそうな確かな予感がしているから。

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