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「私だけの人生」

– 女官長さん

3年前の実家の大断捨離で、実家に置いてあった専門書を始め、持っていた本の大部分を処分し、さらに去年に持ち家を売って引っ越した時点で、電子版で読める本以外を手放しました。
 

最後まで残った本の中に、私が高校生の頃に使っていた数学の参考書が三冊ありました。私は以前に2度ほど、この本を捨てています。その度に、母が取り避けて玄関を入って最初に目に入る小さい本棚にしまい直していました。
 
3年前にその本棚を処分した時、見返せば良問揃いなので、数学好きな息子が面白がって解くかなと、自分の家に持ってきました。
 
『大学への代数・幾何』『大学への基礎解析』『大学への微分積分』の三冊で、月刊誌でも『大学への数学』という雑誌があり、それを毎日飽きずに解いていた私は、校内試験でも予備校模試でも、数学だけは満点を取ると自分で決めていました。『大学へ』とついている参考書ですが、私は高校卒業後、進学せずに国家公務員になりました。
 
中高の10代、私は今で言う「ヤングケアラー」でした。父が病に倒れ、母は仕事と介護、兄も受験で、私が学校の終わりに買い物をして家事をし、長期の休みには父の病室に泊まり込み、父が自宅介護になった時には、母と兄の都合によっては学校を休むこともありました。
 
父のケアラーとして10代後半を過ごしたことに後悔はありません。どんな状態になっても家族の側で、親として子供を見守りたいと頑張ってくれた父の姿は、その後の私の人生の強い支えとなりました。
 
人の価値はその存在にあって、稼ぐお金でも、何をしてくれることでもないことを父は教えてくれました。とても感謝しています。父が亡くなったのは、私が大学受験の年の夏でした。
 
同時期に、母方の祖父の具合が悪くなり、余命が宣告されました。それを聞いた母は、祖父の死後には祖母を引き取ると言い出しました。
 
母は働いていましたので、当然ながら兄と私の協力が必要となります。当時すでに奨学金とバイトで大学に通っていた兄は、「お母さんがそうしたいなら」と答えたそうです。
 
私には、母は、「受験できる大学は自宅通学圏内だけにして。だけど大学の授業料は出してあげるし、おばあちゃんのお世話と家事を手伝ってくれるなら、バイトする必要のないくらいのお小遣いをあげるから」と言いました。「もちろん、手伝うよ。バイトもしないで、ちゃんと家事もするよ」と、答えるだろうの母の期待を裏切って、私の答えは「N O」でした。
 
母は驚きながらも、「あなたの協力がないと、おばあちゃんのお世話はできないじゃないの。ママもお兄ちゃんも仕事があるのだから」と、言いましたが、私は、「私の助けがなければできないなら、それは元から’できない’ってことでしょ。私が協力しないから’できない’じゃないよね」と切り捨てました。
 
母にしてみれば、通う学校が高校から大学に変わっただけで、兄の借りている奨学金もなく、バイトせずにお小遣いをもらえる、つまり、今までの生活そのまま、だったのでしょう。
 
でも、私は、私の人生を生きたかったのです。「病気の父を看病する娘」の人生でもなく、「父を亡くした娘」の人生もなく、「家族のために頑張っている母を助ける娘」の人生でもない、ただの私の人生。
 
もちろん、当時の私には、大学入学金も授業料分の貯金もありませんし、バイトもしたことはありません。私が持っているのは、常にトップを取れている数学だけでした。ならば、その数学力を武器に、自分の人生を築く方法は何だろうと考えて、大学進学から理系技術職の公務員職に変更しました。
 
私を動かしたのは、自分のものであるはずの人生が、誰かの為という名目で、誰かの人生に組み込まれていく恐怖心です。父の看病で家族の絆が強くなったと同時に、家族間の距離感がなくなっていき、「母の意向」が、「家族全員の意向」にすり替わっても不自然に思わない鈍感さが、家庭の中にありました。今でも私は、曖昧な「私達」という主語が嫌いです。
  
高校卒業後に家を出て公務員をしながら、やっぱり大学へ行って博士号を取ろうと、4年分の授業料を貯めて大学に入りました。三冊は、18歳の私の「私の人生は私が攫む」の強烈な想いの入った問題集です。大学への数学ではなく、「私の人生への数学」ですが、実はすっかり忘れていました。
 
ちょうど、息子が大学受験の年で、幸い成績は良いので問題ないのは良いことですが、親目線でとても歯痒い。もっとガツガツ貪欲に点数を取りにいけ!大学合格は、銀のお盆に乗って静々と運ばれて来ない!自分で掴み取りに行くもんだ!とか…本気で思っていました(実は今も思っています)。
 
当時のことを思い出した今、思うのは、息子には、息子の人生がすでにあって、それを誰からも、何からも脅かされることなく、存分に謳歌し、それを当たり前として生きていくのでしょう。
 
この息子の状況は幸運なことであり、親の役目は穏やかに見守るのみ。この三冊は、数学好きな息子が「数学オリンピックに出たい。教えて」と言ったなら、提供しようと思っていましたが、結局は、学校の先生がどっさりと参考書と問題集をもらっていて、不要だと判断して処分しました。
 
18歳の「自分だけの人生」を貪欲に追求してきた私は、目的を達成して、さらには、親となりました。「僕の人生は、僕のやり方が良いの!」と言う息子を、一歩引いてサポートしていこうと思います

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