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在宅介護から始まった私の「断捨離」

– 入選 コロン さん

 それは10年前、父からのこんな電話で始まりました。

 
 

 「お母さんが最近、物忘れが酷くて困ってる。助けてくれないか?」
 当時、父母は130キロほど離れた温泉地で余生を過ごしていました。

 
 

 そう聞くと素敵に聞こえるのですが、自宅を売却し温泉地に建てた家では、
色々な困りごとがたびたび発生していました。
(今思うと、父母もモノが捨てられない世代。ゴミ、ガラクタの
多い家にはそれなりの困りごとが流れてきていたのだと思います。)

 
 

 当時、母の認知症の症状は、頻繁に鍋の火を消し忘れて焦がす、
入れ歯や補聴器を失くす、洗濯物が処理されずに溜まる、などでした。

 
 

 私は人からモノを頼まれると、すぐに引き受けてしまう性格。
(のちに断捨離を知り、この性格の理由に気づくのです。)

 
 

 「助けてほしい」と父に言われると、
ほっておけなくて我が家の近くに家を探しました。
初めは賃貸物件を探していたのですが、
なかなか父母の身体状況にあう家が見つからず、
気づけば「車椅子で過ごせる」中古物件を購入していました。

 
 

 父は当時、認知症の症状も無くしっかりと運転できていたので、
週末には温泉地の家にもどっていました。

 
 

そんな父が家の窓から落ちて、三か所骨折の大怪我をして四か月入院。
怪我が治った頃には、完全な車椅子生活になった父にも認知症が出始め、
それから私の在宅介護生活が始まりました。

 
 

 「備えあれば憂いなし」
当時、足が悪かった母のために「車椅子で過ごせる家を」との思いで探した家は、
「備えあれば憂いあり」のひでこ先生の言葉どおり、父に車椅子人生を呼んだようでした。

 
 

 五年前、いよいよ父母二人から目が離せなくなった時、
私は里子のT君を連れて、車で五分ほど離れた今の家に引っ越しました。
旦那さんは自分が建てた愛着ある家がいいと言って離れきれず
娘と老犬との二人と一匹の生活を選びました。

 
 

 当時、まだ「断捨離」を全く知らない私でしたので、
今思い出すとゾッとするくらいの大収納のゴミ・ガラクタ屋敷でした。

 
 

 「断捨離」に目覚めたのは一年半前、
それまで目が回るような介護に追われていた私でしたが、老犬を見送り、
父を見送った時、突然自分の体が動かなくなりました。持病のリウマチの悪化でした。

 
 

 その時の私の状態は、完全な思考&体停止状態でした。
でも、追い詰められた時には、いつも不思議なことが起こるのです。
私のパソコン上に「断捨離」の文字が…

 
 

 「そうだ!片づけなきゃいけない」突然動き始めた私の脳が考えたことは、
まず旦那さんの説得でした。

 
 

「この体で二軒の家の管理は無理だから、愛着ある家ではあるけれど
諦めてもらえませんか?」さすがに体調の悪い私の頼みを無視できないので、
思ったより簡単に家の売却許可がでました。

 
 

さあ、それからが大変でした。家財道具は二軒分に増えていましたので、
全て必要ありません。欲しいと言ってくださる友達に差し上げたり、
ジモティーに出したりして、何とかほとんど処分し、家…いえいえ、
大きなゴミ収納庫?の片づけが終わったのは一年前でした。

 
 

 それと並行して治療していた私の体も、少しずつ動けるようになってきたころ、
再び、パソコン上に「断捨離」の文字が…

 
 

 やっと、その時がきたのですね。私にも断捨離塾の門をくぐる許可が…
 それは今年の夏のことでした。

 

それなりに収納していたつもりでも、前の家から段ボールに詰めて持ってきたモノ、
父母の荷物、里子の高校生もいて、かなりの量です。

 
 

 本格的に「断捨離」の勉強を始めて、ひでこ先生のお話を聞いてみると、
「あ!コレ私のことだわ~」驚くほど、ピタリとはまる話に笑いが出る毎日。
でも笑ってばかりもいられません。

 
 

ひでこ先生の言われるオートラン状態になんとか持っていかなければ…と、
一級検定に申し込むという「お尻に火をつける作戦」にチャレンジしました。

 
 

 「断捨離」で学んだこと。モノの絞り込みや部屋の片づけ、
それも大きな成果でしたが、一番大きなことは
「なぜ私が頼まれると断れないのか」ということの理由に気づけたことでした。

 
 

 私は三姉妹の真ん中、私が二歳の頃、父母は父の新しい仕事のために引っ越しました。
幼い三姉妹を連れて行くのは大変だということで真ん中の私だけ祖母の家に預けられたのです。

 
 

二歳から小学校入学直前まででした。今でもその時の寂しかった記憶と
「いい子にしないと置いていかれる」という感覚が心の奥底に住みついています。

 
 

12年前、里親になったのも、親と一緒に暮らせない子たちと暮らすことで、
実はそんな寂しかった昔の自分を無意識に癒すためだったのではないかと気づきました。

 
 

 明治生まれの祖母は「もったいない」が口癖で冬の夕暮れ時は
ストーブの灯りで生活する人でした。今でもその光景はハッキリと脳裏に焼きついています。

 
 

そんな祖母に育てられた私の心に住みついていた「さびしんぼ」と
「もったいないオバケ」は幼いころの私が「息苦しい住空間」の中で無意識に生み出し、
人のお世話をすることで癒され、モノを持つことで安心しようとした私自身でした。

 
 

 家を売却するときに手放したモノの中には、高価なモノもありました。
それなのに、手放せずに持ってきたのは「どうでもいいモノ」がほとんどでした。
これが潜在意識の奥に潜む、セルフイメージの現れだと気づいたとき
「せめてこれからの人生、これを変えることを目標にしよう!」と決意しました。

 

 「在宅介護」「里親」「断捨離」すべてのキーワードが揃い、
私が人生で一番望んでいたモノ、それはモノではなく、「心地よく癒される住空間」、
そして「今という大切な時間と私」だったことに気づきました。
いつも人のお世話が先で、自分は二の次。人の評価を気にして「他人軸」で生きていた私。

 
 

 私の「断捨離人生」は60という節目の年にスタートしました。
ワクワクしながら「断捨離登山」を始めています。
ここに辿り着くまでに、長い時間を要しました。

 
 

「断捨離」の勉強をしていると「合点ボタン」を押すことばかりですが、
何一つ無駄はなかったと感じています。失敗も無駄に思える経験も宝です。

 
 

 片づけが単なるモノの片づけではないことを学ばせて頂き、
人生の意味に気づかせていただいたこの教えに感謝しながら、
今この瞬間を大切に日々の生活を楽しみます。

 
 

とても遅いスタートになりましたので、俯瞰力を磨き
一日も早く一人前のダンシャリアンになる努力をしたいと思います。
 
 

 ひでこ先生、断捨離塾の皆様、ありがとうございます。 

 

 

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