ホーム / 断捨離体験談2024(大賞:なみさん)
『断捨離と共に生きる』
– なみさん
ひでこさんに毎年こうやってお手紙を書くようになって今回で4回目。
毎年、断捨離祭りに向けて体験談を書くようになって今年はこんなことがありました。さらに次の年にはこんな展開が待ってました。と報告するようになって昨年書いたときにはもうこれ以上のことは起きないのでは?と思っていましたが
そこはさすが断捨離。想像を超えた世界に私を連れて行ってくれました。
春先には50年以上の間、苦しみ、生きづらさを感じていた私の性質を自分自身で受け入れ自己開示することができました。
物心をついたときから記憶の中ではすぐ泣く私。泣きたいわけではないのに。
まるで条件反射のように涙が出る。それは大人になってからも同じ。泣きたくない場面でも自分の意志とは関係なく出てくる涙。その度に「泣けばいいと思って」「これだから女は…。」と言われ続け、悲しい場面で泣くなら兎も角、おかしい話をしても出てくる涙。とにかく人と話すと涙が出てくる。なんとかしたくていろいろ調べてみても結局は精神論でしかなく気持ちの問題と切り捨てられる日々。「仕方ないのかな。」と、諦めてみても、人と話すと涙が止まらないのは変わらず。そのうち如何に誤魔化すか?ばかり考え、話すときは他人事のように感情を一切封印して話してみたり試行錯誤はするが全く効果なし。
そんなとき、ひでこさんとおのころ心平さんの対談の中でHSPの話を聞きそれに対してひでこさんが「それは大変。辛いね。」の一言にとても救われた気がして、その後、断捨離トレーナーの方々に涙の話を聞いてもらう機会があり、受け入れてもらったら以前よりも涙が出ることなく普通に話すことが少しずつできるようになっていきました。
あんなに生きづらかった私が誰にも言えなかった想いを聞いてもらって、受け入れてもらってこんなにも楽になれたことがとても嬉しく今年はこの話をひでこさんに報告しなくちゃ。と早々と下書きをしていた私。
でも断捨離を続けていると想像していた以上のことが起きるとはまさにこのこと。今度は実家の断捨離についてある出来事が起こりました。
実家は三人揃ってタメコミアンの母、兄、弟の三人家族。何度かトライするも撃沈。私は実家を出た身。外部の人間がとやかく言うのは間違い。何とかさせようと思うことは傲慢。もちろんそのことは承知の上で、鬱状態の母、引きこもりの兄、アスペルガ―で眼に障害をもった弟。全くと言っていいほど会話のない実家。緊急外科手術が必要な状態が続いていました。
鬱の母に代わって食事を届けながら実家に行けば出来ることとしてトイレ掃除、テーブルの上をきれいにする。玄関の靴を揃える。そんなことをしながらも虚しさを感じ実家の断捨離を前向きに諦めたときに破壊と再生が起こりました。
ときは7月。昨今のゲリラ豪雨により屋根から水が漏れ部屋が水浸しに。ごみの山となっている衣類、段ボール、布団、絨毯、本、CD、家電製品…。ありとあらゆるものを廃棄処分せざるえない状態。部屋をリフォームするために全ての物を運び出さなくてはいけない。
その状況を目の前に只々呆然と立ち尽くす母と弟を尻目に、これで片付けられると意気揚々の私。
リフォーム業者にも無理では?と言われたほどの物々を3日間で全て外へ出し、車に乗せて運び出しました。断捨離を知らない人からは「大変だったね。」ダンシャリアンからは「良かったね」真逆の声掛けに思わず笑ってしまいましたが一人黙々と実家で誰も手伝わない中、楽しく断捨離出来ました。そんな時、スッキリと片付いた我が家と私の家族は一番の味方。実家で疲れ切った私を癒してくれました。
さぁ、これでネタは揃った。今年の断捨離体験談は「破壊と再生」と表題まで決めていたのに、まだ予期せぬことが私を待ち受けていました。
今度は私自身の生と死。
この断捨離体験談を書く数日前に私は狭心症になりました。
突然今まで経験したことのない胸の痛みに息苦しさ。幸いすぐに収まったのですがこれは明らかにおかしい。その時、死を意識しました。
その日は土曜日の午後だったこともあり開いている病院は限られている。急いでスマホで検索し病院へ。循環器科と書いてあったので行ってみたら循環器の先生はいらっしゃらないけど診てくれるとのこと。とりあえず診察をお願いし詳しい検査は休み明けに。一応薬を出しておきます。と言われたけど土曜日なので近くの薬局は16時まで。
「きっと間に合う。」そんな予感の中、薬局についたのが15時57分。さすが私。
その後の週末も、断捨離をしていなかったらまた症状が出るんじゃないか?救急車が間に合わなかったらどうしよう。古くなった下着の処分しなくちゃ。家族に見られたくない物の処分をどうしよう?来週から入院になったらどうしよう?そんな恐怖と不安の中にいたと思います。
そう言えば数年前のがん検診で要精密検査って言われただけでドキドキして心配で眠れなかったことを思い出しました。
でも、断捨離をするようになって5年。人に見られて困るものはないし、下着もきれい。不安は頭の中での妄想。事実だけを見ればいい。家の必要な大事な書類等は全てまとめてある。息子に大事なものの場所を伝えたらあとは全く心配なし。
人は、いつかは必ず死ぬもの。それが早いか、遅いか。ただそれだけ。今の私に後悔はない。はっきりそう思えました。
日曜日の夕食は「最後の晩餐?」「入院したら好きなもの食べられないなぁ?」そんなことを考えても食べたい物は思い浮かばず、結局いつも通りの食事に赤ワインを少し。その後ゆっくりとお風呂に入り、心配なことと言ったら「息子はお風呂をちゃんと洗ってくれるかなぁ?」そんなことを考えている自分に断捨離に出会えて、死を意識したこんな時まで穏やかな気持ちでいられることに感謝して眠りにつきました。
さて月曜日、なんの不安も恐怖もなく晴々した気持ちで玄関を出る時「いってきます。」と家に挨拶して出かけました。幸い結果は一時的なもので「異常なし」の診断をもらい家に帰ってきて主人に抱きしめられたら一筋の涙が…。
主人には「怖かったね。」と言われましたが私の中では恐怖ではなく、またこうして主人と一緒に居られることの幸せの涙でした。主人との仲も最悪だったあの頃。断捨離のおかげで気持ちを出せるようになったらお互いの理解も深まり今が一番仲良しです。
狭心症は私への身体のサイン。なんでも全力投球してしまう私にゆとりは必要だよ。と教えてくれたんですよね。自分を労り、自分を大切に、自分自身と大事に付き合っていこうと再確認しました。
断捨離をしていると思いもしない素敵な世界に連れて行ってくれる。
また、来年はどんな景色が待っているんだろう。と、今からとっても愉しみです。
最後までお読みいただきありがとうございました。