ホーム / 断捨離体験談2024(入選:もじゃぶーさん)
『断捨離を知り、自分を知る』
– もじゃぶーさん
何かにつけて、とにかくスッキリしたい。
次々と前倒しして一日中「スッキリしたい」をこなす日々。
私がスッキリさせたかったものは目の前のタスクではなく、心の中にありました。
2年前予想していなかった事態に直面。
全く光のない、深い穴の中に落ちたような感覚。
自分の状況を理解できず、増すばかりの焦燥感、不安感。
ネットで調べて出てきた「空の巣症候群」なる症状。
“子供の巣立ちがキッカケ” ”母としての役割の喪失“と書いてある。
うん、確かに。状況も症状も今の自分と重なる。重なる部分は多いし、そう書いてあるからそうなんだろう。
原因を探れた安堵感から一旦納得してみる。と同時に別の自分が私に問いかけているのが分かる。情報欄の“一般的要因”に対する違和感を訴えてきている。
子供を自分の生きがいにしてきた? 過干渉?過保護にしてきた?
むしろ逆。子育て中も趣味の一人旅に出かけ、友達と富士山にも登る。自分の時間や意見を大切にしたいからこそ、子供の考えや判断も自分とは別のものとして区別し尊重してきたはず。それをベースに生活を共にしてきたはず。状況や症状だけで納得してしまうのは何か腑に落ちない。
この違和感を抱えながら断捨離と出会い、とにかく現状この空の巣症候群から脱したい。脱するためには真正面から向き合わなければ解決しない。
この直感に従い断捨離をスタートしました。
元々スッキリが心地よく、モノは少なめ。
手放すモノと向き合いながら、まだ断捨離を知らなかった頃の私の捨て方を思い出す。
絶賛空の巣症候群中なので、自然と子供の品の捨て方にフォーカスして思い出す。
昔から作品なども勢いよく捨てていました。その日の作品、その日のうちに。
学年が変わる年度末などはまさに断捨離忘年会。不要になった書類は全捨て、まだ使える服や学用品は地域のフリマに出店したり、リサイクルに回したり。サイズの小さい服はフリマでもよく売れ、楽しみながら処分できる。子供が意思疎通のできる年齢になってからは、要・不要を共に決定していく行程も楽しみながら、一年の成長を確認できたお祝い事のような感覚で行っていました。
その一方で、家の中に少しずつ増えていったものが。それは、家族旅行の際の旅先での思い出の品。その時の楽しかった記憶を切り取るように買って持ち帰っていたモノでした。
本格的に断捨離を学んでからの実践は「厳選して持ち帰ってきた良き思い出」との対峙。良き思い出品の中から今の自分のお気に入りを見定め、漏れたモノは不要と判断して手放していく。辛い。自分の一部が消えていく感覚に捉われる。「モノ=自分」を強烈に意識する。
“このモノを買った時、どのような気持ちで手に入れたのか。”
楽しかった記憶と共に持ち帰りたかったものは、「家族の安泰」を確認できるもの。そして、増える旅のバリエーションから得られる子供の成長の証。
思えばそれは、大好きな旅を通して家族の関係性と子供の成長を確かめ、自分を認めるグッズだったのかもしれません。
過去執着だと思っていたモノが未来不安だったと気づき、自分の不安の大きさに驚き、受け入れられないやら、認めざるを得ないやら。
そうしてモノの整理がついてくるにつれて、自分の今の状況に感じていた違和感が浮かび上がってきました。
私がスッキリさせたかったモノ。
「母のように自分の子を育てたくない」思い。
子供時代、今で言う教育虐待のような経験をしてきました。
ノルマの問題集や課題のピアノ曲をクリアできないと怒りに任せた母が怒鳴り、叩き、床を引きずり回す。母の怒りのスイッチがいつ入るのかビクビクしながら、その状態に本格的に反抗するようになった小学6年生頃を境に沈静化しました。
が、その頃の経験が私自身が「母」という立場になることを強く否定し、成人してからも自身が子供を育てるという気持ちやビジョンが全く持てませんでした。
ちょうど時代の流れも重なり子供を持たない選択をする人も少なくなく、今の夫とも夫婦2人の生活を視野に入れたお付き合いをしていました。
そんな中での妊娠は衝撃的でしたが、これまで携えてきた観念や思い込みは強固なもので。
自分の子供時代のような経験・思いは絶対にさせたくない、自分のようになってほしくないという強い気持ちの一方で、そうでない育ち方、育て方というものが分からない。自分のような思いをした人間をこれから自分で育ててしまうかもしれない不安と恐怖。
出産した瞬間から、私は私。子供は子供。互いを尊重する試行錯誤の子育てが始まりました。
そうして18年。子供が巣立つタイミングで訪れた空の巣症候群。
思えば常に家庭内の安泰と親に縛られない子供の成長を意識してきました。年度末恒例の子供グッズの断捨離、そして反比例するように増えた旅の思い出グッズは、それらを実践できているかどうかの確認作業と達成の記念品。
自分という軸。子供という軸。決して子供に踏み込みすぎず、成長に合わせた適度な距離感を保って見守りたい。安心できる場を作りたい。
母と私の間ではこじれていたその距離感を意識するあまり、全力で子供軸に寄っていました。
自分軸を持っていたと思っていた自分。そう意識しながら子供軸に寄っていたんだと気づいた自分。
同時に、私にとって子育ては自分自身の大きな課題。人生の主役に据えて向き合っていかなければならなかったものでもあったのだと思います。
空の巣症候群の原因に辿り着き、今はその状態に陥っていた自分を肯定できるようになりました。
全力で子供軸に振り切って、子育て頑張ったなあ、私。
日々「スッキリしたい」とこなしていたのは“不安の払拭”でした。
モノを通して自分と向き合い、空の巣からの脱出を必死に試みる過程で、気づけば断捨離は私の一部として機能し始めていました。
これからも続いていきます。