ホーム / 断捨離体験談2024(入選:匿名希望さん)
『空っぽの私の中に流れこんできたこと』
– 匿名希望さん
断捨離に出会って、家の中のモノを手放しリフォームもした。そこでわかったのは自分勝手軸 な私、夫や子供の気持ちを聞こうとしなかった自分だった。
夫は優しい人だった。しかし、亡くなってから気がついた。私は彼のことを何も知らなかった。死後、彼の高校時代の写真を見つけた、睨みつけるような目つき、学校や教師に対する怒りの文章。本当の彼は単に優しい人ではなかったのだ。無口で何も語らない、そんな夫に自分の意見を押し付け考えを聞こうとしなかった。私のやり方に従わないと不機嫌になって酷いことも言った。不機嫌は暴力。まさしく暴力妻だった。
子供に対しても酷かった。優秀な子供に育って欲しくて幼児教育にのめり込んだ。毎日毎日もう修行のように楽しくもないのに続け、何枚プリントをやったか、何冊読み聞かせたかが大事で目的になっていた。子供の表情など確認しなかった。
そして、その結果は悲惨だった。成人してから子供は自殺した。そして夫も亡くなったのだ。残念なのは夫が子供に確実に死ぬ方法を伝授していたこと。さらに残念なのは、私も自殺肯定派だったこと。
私にとって、生きていることは辛いことだった。お金がいくらあっても不安だったし、シンプルに楽しむことを悪いことだと思っていた。
夫が亡くなる前の日、「君は1人で生きていけるよ」と言った。年賀状を毎年200枚も出していたのに、コロナ禍で葬式も出せなかった。年賀状でつながる縁など意味がなかった。彼らの死は残された私ともう一人の子の二人で見送った。
二人が亡くなり、モノに対しての考えは変わった。人は死ぬ時、何一つ持ってはいけないのだ。生きている今の自分の環境を整え、今の自分が喜ぶように体と心の声を聞くことこそが大事なことなのだ。その後、マンションのモノを捨てリフォームしてクローゼットの扉を外し、壊れたキッチンを変え、ヒビが目立つ天井を直し、汚れた壁紙を変えた。家の中の空気が変わった。そんな環境に過ごすことで癒やされた。
辛い思い出がなくなったわけでは無いが、断捨離で今の自分の人生を生きる事を学んだ。そして、モノで自分の居場所を主張して夫の居場所を奪ったのは私であり、存在を無視したのは私であった自分勝手な私に気付かされた。夫が最後に言った言葉は私と縁を切り、私からの支配から逃れ、大事に溜め込んだ本と別れ、自分の思い通りに命も捨ててしまうことだった。その時、私は全てを失ったと思った、残念な結果、今までやってきたことが音を立てて崩れていった。
しかし、断捨離を学んで、人の生き死にはどうすることもできない、夫も娘もそれを選んだのだから仕方がないのだ。私のせいだと思うことは手放すことにした。
すると、空っぽな私は、これからたくさんのことが流れ込んでくるチャンスなのだと思えるようになった。今の自分を生きよう。悲しくて辛い体験はそっとしておこう。時間は常に流れている。私の命だって限りがあるのだ、やりたい事を優先させよう。自分をごきげんにしようと行動した。満たされた自分が出来上がり、自分の命がピカピカと輝き出す実感を味わうことができるようになった。そして、たくさんの断捨離仲間という縁に囲まれた。今残っているのは楽しい思い出ばかりに変わり、それは今を生きる原動力になっている。