ホーム / 断捨離体験談2024(入選:しょうこさん)
『人生の幕開けは何度でも』
– しょうこさん
私が断捨離を知ったのはテレビ番組でした。
単純に家が片付いていく様が面白いと思い、毎回楽しみに観ていました。
そして不思議と番組が終わると何かを断捨離したくてたまらなくなり、ちまちまとモノを捨てては満足していましたが、当然ながらこれは本当の意味での”断捨離”ではありませんでした。
しかし、本質は違ったかもしれないけれどこの小さな行動が、空間を浄化し私の鈍った感覚を取り戻す手助けとなり、結果的には大きな選択・決断をする原動力となりました。
私は20代後半に異国の地で知り合った外国人と結婚し、16年間婚姻関係を続けてきました。しかしその3分の2にあたるおよそ10年は、はっきり言って不仲そのもの。過去には離婚届提出一歩手前ということが何度もありました。
幾度となく訪れた危機にもなぜか決断しきれなかったのは、心のどこかで「いつか良くなるかも」という根拠のない期待を捨てきれなかったから。環境が変われば、仕事が変われば、子供がいたら、私が変われば…。そんな「たら・れば」に囚われ続け、私は1歩前へ踏み出すことを自ら止めていたのだと思います。
その後、子供が産まれても状況は好転せず、それどころかさらに関係は悪化。それでも今度は「子供のためにも離婚はしない方がいいのでは」という思い込みが足枷となりました。
この間、常に心の大半を占めていたのは「私が私でないような感覚」。
何をしても、何を言っても、全て否定される。初めこそ怒りを覚え抵抗したものの、長い時間を経てそれが当たり前となり、抵抗を諦めた私は、本来の自分がどんな人間だったかをすっかり忘れてしまっていました。
そんな行き場のない悲しみと虚無感の中にあっても、断捨離は私の生活の中で欠かせない存在になっていました。モノの要適快を見定めていくうちに、ある時ふと気づいたのです。この”結婚生活”が、私にとって「不要で不適で不快」だということに。
一旦気づいてしまったらもう見て見ぬ振りはできませんでした。なぜなら私はすでに断捨離に出会い、小さな行動を積み重ね、たくさんの教訓を得、思考は変化していたからです。
人生の半分を過ぎ、これからを過去10年のような自分のまま生きていて良いのか?私は一体どう生きたいのか?ということを強く意識し始めました。そして答えはすぐに出ました。
今の私は自分がそう在りたいと思う私じゃない!
虚しさを手放し、もっと自分らしく生きたい!
断捨離は背中をぐいぐい押してくる強力な応援者。
「いけっ!やってみろ!やらなきゃ始まらない!」
まさに決断と行動!とばかりに私の重たかった足を強い力で動かしてくれました。
「不要で不適で不快」な結婚生活を手放すには、かなりの労力と時間がかかりましたが、最終的には離婚が成立。その時の私の感情を例えるなら、深紅のゴージャスな緞帳がバーっと開きスポットライトを浴びた舞台の演者のような、そんな華々しい気持ちでした。
さあ、次の幕が始まるよ!そんな声まで聞こえるような…。
こうして私は、愛する子供と共に人生の新たなステージへ進むことができ、今は「自分が主役」の人生を送れる喜びを日々感じています。