ホーム / 断捨離体験談2023(グランプリ:請関ゆり)
「出したからこそ流れこんできたこと」
-請関 ゆりさん
8年前に断捨離を知り、2年前に断捨離は捨て方の技術を学ぶことだと大き
く勘違いしたままリヒトへと足を運びました。
それなりの覚悟があったつもりでいましたが、今思うと恥ずかしい限りで
す。
独立した主人と共に29年間続けてきた仕事を手放したい。
そう願うきっかけは、信頼して一緒に働く息子の口からでた「いつまで働
くつもり?自分が居ないと会社が回らないとでも思う?」という言葉。
驚きすぎて最初は無感覚。やがて怒りで心が煮え、悲しみに変わっていっ
た。
ここで自分の感情を表に出すことが出来ていれば楽だったけれど、出せず
に飲み込む癖。平静を装うことで自分を保つことに慣れきっていました。
心と頭のアンバランスに身体には次から次へと不調が現れましたが、その
時の私は身体の訴えに全く気づくことが出来ず、やり過ごすことことしか
できませんでした。
手放したい思いと、長い時間ふんばってやってきたことを譲りたくない思
いが混じり、未練も加わり頭と心の空間は汚部屋状態。
主人の助けになりたい、役に立ちたい、いつも誰かの何かのために役に立
たねばとの思いに心は支配されていた。同時に役に立てている自分に満足
し、喜びも感じていた。
断捨離を実践し、学びながら私は一体何を怖がり、恐れているのだろうと
考え始めた。
なぜこうも周りの役に立ちたいのか、役に立たねばならないと思い続ける
のか・・
45年前の記憶が蘇った。
私の判断、選択ミスで母の人生を終わらせてしまった事実。
このことを今まで誰にも言わなかった。話すことは出来なかった。
葬儀の後、「一緒に居たのに、役にたたんで」と言われたことを思い出し
た。
「役に立たない」この言葉が心の中に沈んでいった。
15歳の私は「人様に迷惑はかけられん、大丈夫、心配ないから」と言う母
に従い助けを求めることが出来なかった。二度と目を覚まさなくなるとは想像も
していなかった。二か月前に父も他界したばかりで、一人になり孤独を味わった。
ここに戻った。
そうか、仕事を手放してしまうと役立てる私ではなくなる。存在価値がな
くなると思い込んでいたのだ。
また独りになる、淋しくなることを恐れている自分がいることに気づけ
た。
ここまで自分のことがわかってくると随分と楽になり、認めることができ
る様になってきた。
けれど、まだ全部を手放すことが出来ずにいるもどかしさも感じていた。
そうした中、ひでこ先生の活字の中に「執着は情熱でもあるのだから」と
いう言葉を見つけた。心がスーッと軽くのを感じた。答えだった。
今まで「執着」はネガティブなものとして捉えていた。
「情熱」この一言で解決した。
私の執着は情熱だったと思えると一気に心の中に風が吹いた。
そう、これまで情熱をもって働いてきた。
・私は本当は仕事が好き
・子供を育てる様に会社を育ててきたから離れるのが辛い。
本心が湧き出し、感情を味わい、赦し、認め、受け入れられた。
よくがんばってきよ、もうそろそろいいよと自分に言えた。
自分との関係が良好になっていくのを感じとれた。
そうして息子の言葉を考えてみた。
本当は私を休ませてあげたい、楽にさせてあげたいと思い遣って言ったこ
とと理解できた。自分の聞きたい様に聞いて勝手に激怒し、傷ついていた
だけ。
彼の言葉がなかったら、断捨離を学ばず、自分の人生を脇役で終わらせる
ところだった。
感謝を伝えたら笑顔が返って来た。「出すこと」が喜びに繋がっていっ
た。
出すことを意識して続けていたら思わぬことが流れ込んできた。
それは断捨離を知る前に私には無理だと諦めたこと、一番やりたかった大
好きなこと。信じられないタイミングに本当に驚いた。
この運ばれてきたギフトの蓋を開けるにはまだまだ学びとトレーニングの
時間が必要だけどしっかり愉しんで準備をしていこう。
タフになった私は45年前の事を「最高のクリスマスプレゼントだった、ふ
んばれる自分になれた」と話すことができる。
断捨離には夢を夢で終わらせない力がある。
地道が一番の近道。今、この8年は私にとっての近道だったと思える。
共に学ぶ楽しさ、仲間の大切さ、考察を深めるためのアドバイス、一人で
は気づけなかった視点、励まし導いてくださったトレーナーの皆様、ご縁
あった方々に心から感謝いたします。
これからも断捨離道を歩み続けます。