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彼女との約束

– 廣田由紀子さん

 

無意識に「なんでも完璧」を目指してきた私なので、
文章につい力が入りそうですが、
『私に起きた事実』を素直に綴ってみようと思います。

 

幼い頃から「しっかりした子」として育ち、
成績もまあまあで素行も良い。
社会人になれば仕事はそつなくこなす。
結婚してからは「よい妻」「よい母」になろうとして、
知らない間に「よいご近所さん」まで目標に。

 

挙げ句の果てに保育士の資格を取って
フルタイムで働き出す
『自他共に認める頑張り屋』。

 

それが私でした。

 

保育士の仕事は早番や遅番勤務もあり、
わずかでも子どもへの目が離せないという緊張感も必要。

 

子どもたちは大好きでしたが、
仕事と家庭の両立はとても大変でした。

 

しかし、そもそも目標が高かった私は
『もっとできる』『私がやらなければ!』と、
どんどん自分を酷使していきました。

 

 

気づけば家は取り散らかり、家事も満足にこなせず、
ただ疲れきって眠り、また起きて・・・という毎日。

 

さらに息子がなにか問題を起こすと
「職場では『先生』なんて呼ばれて保育の相談にも乗っているのに、
我が子のことは満足に見ることもできない・・・」と、
自分を責めることもよくありました。

 

そんな日々が6年ほど過ぎたあるとき、
体に激しい不調がやってきました。

 

食べるものの味がしなくなり、頭痛や耳鳴りがして、右手が痺れる。
眠れなくなって腰痛がひどくなり、お腹は常に下っている・・・。

 

とにかく今までにない絶不調。

 

一番びっくりしたのは
「最近ぜんぜん笑ってないですよ」
と同僚に言われたこと。

 

そう言えば、このころの私は
『もう生きていても仕方ないかな・・・』
と思うようになっていたのです。

 

ついに周りも私も限界に気づいて、
休職することになりました。

 
仕事を離れ家にいても何もできず、
あらゆる感情をなくした私は、
流れる雲をぼんやり眺めるのが精一杯。

 

人ってこんなに簡単に絶望することが
できるんだと思いました。

 

「感情を失う」ということは、
「生きる力を失う」ということでした。

 

 

そんなあるとき、物置状態になっていた
部屋の隅に、布を被ってホコリまみれに
なっていた「あるモノ」が気になり始めたのです。

 

それは大きな鉄道模型。

 

私の父は模型作りが大好きで、
実家には飛行機のプラモデルが
たくさん並んでいました。

 

この鉄道模型も、
時間ができたら作ることを楽しみにして、
父がパーツをひとつひとつ集めたもの。

 

ところがすべて揃ったところでガンに倒れ、
父は帰らぬ人となりました。

 

父が亡くなったあと、
母が「お父さんのかわりに作って」と
この模型を私に託してきました。
たくさんのパーツは場所を取るので、
母も持て余していたのでしょう。

 

父を失った寂しさと悲しさに、
そして父との楽しかった思い出を振り返りながら、
時に涙しつつもやっと完成させたのに・・・

 

その後何年も経つうち、
この鉄道模型はいつしか私の『心の重り』
となっていったのです。

 

 

たまたま私が作っただけで、
これを「父の形見」だと
思い込んでいたのはこの私。

 

捨てたい、でもそれはまるで
父との思い出を捨てるようで捨てられない・・・

 

私の心は次第に苦しくなっていきました。

 

その苦しさを忘れるために、
布をかけて見えないようにして、
放置していたのかもしれません。

 
『まずこれを捨てなければ!』

 
なぜかそう感じた私は、
さっそく捨てる方法を調べました。

 

「大きいから」「特殊なものだから」と、
今まで『どうやって捨てたらいいのかわからない』
とため息をついていたのは言い訳。

 

すぐに業者が見つかり、
買取り代金まで置いて
その模型を引き取ってくれました。

 

車を見送りながら、
「この何年間は一体なんだったんだろう・・・」
と全身の力が抜けたのを覚えています。

 

これを皮切りに、
私は身の回りのモノをどんどん捨て始めました。

 

空間ができることの清々しさ。

 

モノに貼りつけた『思い込み』まで
捨て去ることの軽やかさ。

 

「よい妻」「よい母」「よい人間」を
むやみに目指していた私から、
「自分自身が『心地よい』と思える家」
を目指す私になりました。

 

寝室を整えるとよく眠れるようになりました。

 

キッチンを整えると食欲が出てきました。

 

リビングを整えると家族との関係がよくなりました。

 
すべては『詰まり』。

 

 

家の詰まりをなくすことで、
私の「思考」が動き出し、
健康まで手に入ったのは本当に不思議でした。

 

毎日が楽しくて、周りに感謝しながら
家族と笑って暮らせるようになったある日・・・

 
とても悲しい知らせが届きました。

 
懐かしい同級生が、家族を残して
自らの命を絶ってしまったと・・・
言葉が出ませんでした。

 

彼女にはもうずいぶん会っていませんでしたが、
その知らせを聞いたとき、
私は彼女の「苦しみ」が
何となくわかるような気がしたのです。

 

真面目で、いつも自分より「人のこと」
を考える優しさ。その優しさが知らず
自分を苦しめていたのではないだろうか。

 

母として、妻として、
彼女もきっとがんばっていたのだろう。

 

でも、「私はいいよ、大丈夫」と
常に自分を後回しにすることで、
知らないうちに自らを追い込んでしまう
危険性があることを

 

そして自分を尊重する「自分軸」こそが、
幸せへの大事な鍵であることを

 

私は断捨離で学びました。

 

だからこそ、できるなら彼女に寄り添って
抱き締めて言いたいのです。

 

『苦しかったね。でもあなた、馬鹿だったよ・・・』と。

 

いま私は、過去の私と同じような
苦しみを味わっている方をひとりでも救いたいと、
断捨離トレーナーになるための努力をしています。

 

八方塞がりで出口のないトンネルの中に
いたような人間が、モノを手放すことで
ここまで変わることができた、
という事実だけが『心の頼り』です。

 

でもその『心の頼り』こそが、
誰かを助ける力になると信じています。

 

 
『自分の人生に自分を捧げる』

 

 
これが私自身と、そして彼女と交わした約束です。

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