ホーム / 断捨離体験談(『断捨離に出会って6年…今の私』:匿名希望<サポート/檀葉子(チーフ断捨離トレーナー)>)
断捨離に出会って6年…今の私
– 匿名希望さん(サポート/檀葉子(チーフ断捨離トレーナー))
私が断捨離に出会ったのは
今から6年ほど前知人のメールでした。
「 今これにハマってます!」
と添付された写真に「 断捨離」と書かれた本、
わたしはこの三文字に強烈な印象を受けて
早速本屋さんで探しました。
本屋さんの片隅で見つけて購入し夢中で読みました。
その頃住んでいた家、各作りが狭くモノも多くて
掃除もする気にならず階段下の収納庫や天袋には、
大量な日用品のストックが…
トイレットペーパー、ティッシュボックス、
ラップ類が8袋ほどある状態でした。
でも、実はこのわたし その家の二軒前の家で
10年ほどまったく真逆な生活をして居ました。
幾つかの家具が置かれただけで、 家具の上も
一切モノを置いてないスッキリした状態でした。
でも、そのスッキリは断捨離のスッキリとは
ちょっと違っていました。
その訳は、主人との結婚を機に私たちに
降りかかって来た専業農家の主人の両親の借金、
度々のお金の用立てそれに応える為に
余計なモノを買う余裕が無かったのです。
主人は九州男児 長男で親が困れば支えるには自分
と強く使命感を持った人で嫁のわたしも
協力するのは当然、わたし自身もそれが
夫を支える妻の務めと思っていました。
義両親の金銭感覚には付いていけませんでしたが、
時々小声で意見を主人に言っても
全然取り合ってくれませんでした。
そんな生活が続いて結婚20年経った頃、
お金の工面と長男の嫁の務めに精神的にも
限界が来ていたわたしが、ある日突然
起きれなくなり家事が出来なくなり
体重も13キロも落ち なんと心の病にかかって
寝込むことになりました。
症状も重く医師の長期的な治療を受けることになりました。
病気と引き換えに主人もようやく少し理解を示し
親に言ってお金の問題から解放してもらいました。
でも少しづつ回復して出かけられるようになると、
それまで自由にお金を使えなかった反動か?
安売りの日用品を買いだめして それまで
買えなかった雑貨品や調理器具をどんどん買い
モノが溢れて行きました。そんな矢先だったのです。
やましたさんの「 断捨離」の本を手にしたのは…
本を読み断捨離を実行して行きました。
その後発行された本も買いブログも読んで
一人コツコツ断捨離して来ました。
引越しを機に大きなモノを手放したものの、
新しい家では、断捨離の知識を蓄える方に偏り
手放す量より取り込むモノの量が多くて、
中々納得いく断捨離は出来ていませんでした。
ただ、一度も断捨離をやめたいとは思いませんでした。
何か?片付けだけに終わらないものを感じていました。
そのお陰か?断捨離に出会って五年、
今から一年前から病気の回復の中、
最後まで取り戻せずあきらめていた症状の一つ
料理の勘が戻って来たのです。
驚きの回復でした。
どんどん料理も以前より増して出来るようになり、
ここまで来たらもう大丈夫と思いました。
食欲も完全に戻り体重も6キロ戻りました。
そんな時です。主人から、義両親が老後の蓄えが底をつき
本人たちの葬儀代も無いと告げられました。
そして万が一の時の生命保険も支払いがきつく
すべて解約したらしいと…
他の人は簡単に
「 お金が無いなら葬儀を上げなきゃいいじゃ無い…」
と言いました。でも、田舎の風習の強いところに住む
義両親。主人がそんな事出来る人で無いことは
わたしは良く分かっていました。
体がやっと回復したのに…とどーと重い気持ちで
覆われて行きました。自分の育った家庭も
父のギャンブルで貧乏だったのもあり、
結婚に逃げてしまった結果、今度は嫁ぎ先の
お金の問題に追われて自分も病気になり
「いったいわたしは何の為に生まれて来たのだろう?」と、
以前からもずっと考えていたことが又沸き上がり
それに埋れてしまいそうでした。
現状から逃げられないもどかしさで
どうにかなってしまいそうでした。
そんな中いつも見るブログで、
福岡断捨離会のトレーナー壇さんが
鹿児島で断捨離講演会に来ることを知りました。
6月のことです。
隣の県ですが、此処から飛び出したい気持ちもあり
パートの休みを取り宿も取り列車に乗り
講演会に行くことにしました。
講演会でお会いしたトレーナー壇さんは、
やましたさん同様カッコよく、
そして笑顔がとても素敵な人でした。
講演会最後に「断捨離実践コース」の案内が
配られましたが、わたしはこうして地元を出て
断捨離の講演会に鹿児島に来れ、
トレーナー壇さんにもお会いできダンシャリアンにも会えた。
それだけでわたしには十分と思っていました。
でも、帰ってから義父が入院し、
現状の問題が一層重く感じて来ました。
迷いに迷い「そうだ!鹿児島に通おう!」
とぎりぎりで申し込み、実践コースに参加しました。
県外からはわたしが一人、
でも行くとみんな笑顔で迎えてくれました。
誰よりも壇トレーナーが包み込む笑顔で
「 今日も来れたね」と迎えてくれました。
実践コースで自己流の断捨離も変化し
断捨離は拍車がかかりました。
仕事で3回休みを希望日で取れるのは異例でしたが、
上司が許可してくれて 又父のことも自分の気持ちに
無理のない範囲でお世話をしました。
それもあり主人も鹿児島行きに何も言わず、
こうやって道がどんどん開いて行ったのです。
その後もう一回実践コースに参加しました。
わたしにとってこの計7会の片道約3時間の
鹿児島に通うことはとても大きな影響を与えました。
断捨離を知りたい体験したい答えを得たい!
仕事の休みを取り汽車に乗りこうして
一歩行動する意味の大きさその結果が生み出すもの。
こうして断捨離体験を綴っている今から
三週間前に残念ですが義父は亡くなりました。
変な話ですが、弔問客が多く、心配していた
葬儀の金銭面でも私たちに降りかからず
無事に義母が納得する葬儀をあげられました。
そうです、又道が開かれたのです。
まだまだ主人の実家の問題はありますが、
今のわたしは悲観して深く心配しなくなっています。
もし、わたしが断捨離に出会わなかったら、
望んでなったわけでない心の病も
治って無かったかもしれません。
医師の力もありますが、12年もの治療、
断捨離をし続けたからこそ
それは回復に寄与したと思います。
そして、断捨離を続けていなければ、
この半年の間に出会った鹿児島への実践コースに
参加することもなく
壇トレーナーや仲間とも会えなかったでしょう。
そして、断捨離がもたらす何か目に見えない力で
道が開き、ただの片付けで終わらない答えを
わたし自身経験出来なかったでしょう。
これからもまだまだ断捨離の螺旋階段は続きます。
まだ、経験していない ワクワクもいっぱい
待っているでしょう。あの、やましたさん、壇トレーナー、
他のトレーナーさんたちのご機嫌な笑顔、
心身共に健康になって、
そのご機嫌な笑顔をわたしも掴みたいです。
やましたさん、断捨離をありがとうございます。
トレーナーさん、仲間たちありがとうございます。
これからは、無理なく心の声に丁寧に
耳を傾けて上げて自分を大切にしたいと思います。
そしてどうしたいのか?いつも問うようにしたいと思います。
すべてのわたしの周りの人に感謝です。