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食べ物のことで争う人々に言う。

– 飯盛 昌代さん(サポート/檀葉子(チーフ断捨離トレーナー))

 

「ケンカをやめて‼︎
私の食料は、みんなで分け合って下さい。
私のことは、気にしないでいいの…
そのかわり、私の分まで生きて…
未来の子供達の為に、生き抜いて必ず地球を守って…」

 

私が小学校の時に作った物語の
クライマックスのセリフである。

 

子供の頃、本の虫だった私は、
ハッピーエンドよりも、
主人公が、みんなの為にひとしれず苦労したり、
大好きな彼の幸せの為に、自らが身を引く
悲劇のヒロイン系のお話が大好きだった。

 

主人公は、チームの為に、
かげながら努力していたことに、みんなが気づき、
傷だらけになった主人公の手をとり、
「こんなになるまで、一人で頑張るなんて…
もっと早くいってくれたら、手伝えたのに…
だって、私達は、仲間じゃない」

 

涙でグシャグシャになった笑顔の私達を、
賞賛しているように、爽やかな風が吹いた…

 

あぁ、なんて素敵なの…(ウットリ)

 

そうよ、いつかきっと私の努力は、
報われる日がくるわ…(ウットリ)

 

もちろん、大好きなお話は、
”賢者の贈り物”

 

お互いを思い合うがゆえのに、プレゼントは、すれ違う…

 

そう、”自己犠牲こそ美徳なり”。

 

全てのことは、努力と気合と根性で乗り越える。

 

”出来ません”なんて、口が裂けても言わない。
出来ないのは、本気でやろうとしないから。
出来ない言い訳を考えるより、
やれる方法を考えることに、脳みそをつかえ‼︎

 

バブル全盛期に就職し、遊びも仕事も全力で謳歌した。

 

そんな私が、恋をする…

 

恋した人は、爽やかな笑顔の好青年

 

一人一皿の夕飯のオカズも、彼が
「これ美味しいね」と言えば、

 

「私の分も食べなさい」と、
右側からは、お祖母ちゃんが、
左側からは、お母さんが競い合うように、
自分のオカズを差し出されるお坊っちゃま。

 

彼は、差し出された皿を、”ありがとう”と、
遠慮なく受け取り、パクっと躊躇なく食べる。
幸せそうに食べる彼をみて、家族が笑顔になる…

 

まさに、知る人ぞ知る、農業従事者御用達の雑誌
”家の光” の表紙モデルのような一家である

 

そんな我慢とは、無縁の子供時代を過ごしてきた、
私と真逆なタイプ。

 

縁とは、不思議なもので、そんな二人が恋に落ち、
やがて結婚する…

 

初めての喧嘩は、
忘れもしないゴールデンウィークのある日。

 

初帰省から自宅に戻るのに、
「帰りの車で食べなさい」と、手渡されたミカン2個。

 

夫が、一人で全部食べてしまったこと。

 

「普通、2個もらったら、1個ずつ食べるでしょう」
ハンドルを握りしめ、鼻息荒く怒る私に、

 

「だって美味しかったんだよ。
そんなに、食べたかったのなら、また、買えばよかろうもん。
サービエリアでミカン買うぎよか(佐賀弁)」

 

「いや違う、そうじゃない‼︎
私は、ミカンを食べたい訳じゃなくて、気持ちが大切なの。
私達夫婦でしょ。
喜びも悲しみも分け合っていくのが、ホントの夫婦じゃないの。
私のこと愛してないの?」
o(`ω´ )o

 

怒りにまかせてアクセルを踏み、
泣きながら訴える私に、意味もわからず、

 

「サービエリアで、ミカン買えば良かろうもん」
を繰り返す夫であった…

 

そんなケンカの翌日からは、
仕事しながら、次々に生まれる4人の子育て、
末期ガンの父の世話、町会、子供会、学校PTA、
生協活動とフル回転の日々を過ごした。

 

父ちゃんの為なら、エ~ンヤコラ
子供の為なら、エ~ンヤコラ

 

コピー用紙一枚は、薄く軽い。
しかし、その一枚が重なり500枚になった時のおもさは、
ズシリと重い。

 

日々、紙一枚分とはいえ、自分を抑え、
人の為と我慢している私は、
時として、頑張らない人に、手厳しい。

 

常に我慢のボーダーラインにいる私が、
これは、勘弁ならないと感じた時の破壊力は、凄まじい。

 

爆発した私の不機嫌さの原因が、
私の内側にある、日々の小さな我慢の積み重ねだと、
家族は、もちろん、当の本人の私でさえ気づかなかった…

 

私がお風呂に入ると、
「お母さんが怒っているのは、更年期のせいだね」
と家族は、小声でお互いを慰めあっていた…

 

こんな時にばかり、”更年期”を引き合いに出されては、
女性ホルモンにとっても、まったくもって、迷惑なことである…

 

初めてのケンカから、二十数年後のゴールデンウィーク
私に人生の転機が訪れる…

 

本で学んだ断捨離をしていた私は、福
岡でプロの断捨離セミナーを受けたのだ。

 

その時の気持ちを正直に言えば、
特に目新しいことは、何もないな…と思った。
今思うと、ジワリと脇汗がでるぐらい、生意気な感想である…

 

えーい、頭が高い‼︎
控えおろう‼︎

 

おぬし、この断捨離トレーナー様を誰と心得る、
先の副将軍、檀葉子様にあられるぞ‼︎
控え、控えおろう~‼︎

 

は、はぁ… m(_ _)m

 

そんな生意気な感想だったとはいえ、

 

実際、家に帰ってみると、
我流とはいえ、あれだけのモノを捨て、
断捨離していたはずの完璧な我が家は、
まだまだ、断捨離出来るモノに溢れていた。

 

”断捨離をキチンと学びたい”

 

そう感じた小さい思いは、
やがて、抑えきれない大きな思いになり、
子供の病欠に備えて、使わずにいた有給休暇を会社に申請し、
同じ断捨離を目的とした仲間とともに21日間学んだ。

 

ただ、目の前のモノに向き合い、
自分の内側に向き合う、極めて地味な作業。

 

やろうがやるまいが、自分次第。
やりたくなければ、やめてもいい。

 

…たっ、楽しい。
なんだ、この楽しさは…
( ̄▽ ̄)

 

スッキリとしていく我が家とともに、
私の自己肯定感も上がっていく…

 

日々、モノと精神の断捨離を繰り返し、
断捨離の筋トレをしたダンシャリアンと呼ばれる人々の
片隅にいる今の私なら、同じ場面でも、きっとこう言うだろう…

 

食料を前に争う人々に、
「私も食べた~い。
みんなでちょっとずつ食べようよ。
全員が腹ペコかもしれないけど、みんなで生きていたら、
生き残る為のアイデアもたくさんでるし、お互い協力しあえるよ」
٩( ‘ω’ )و

 

ミカンを2個食べた夫に、
「そっかぁ、もらったミカンが、美味しかったんだね、
よかったじゃん。じゃあ、私は、サービエリアで、
今、一番食べたい美味しいもの買おうっと」
♪(´ε` )

 

大好きな”賢者の贈り物”の話も、
ダンシャリアンになった私には、ただの断捨離にしか思えない
(* ̄m ̄)ぷっ

 

ダンシャリアンがいる限り、地球の未来は、明るいのだ。

 

そして、神は、こう我々に、告げるであろう…

 

捨てよ、さらば、与えられん‼︎

 

 

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